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吉田賢太郎
旅の終わり、答えの始まり
世界中を探求(さが)し求めるのは、もう終わりだ。
分厚い歴史書も、無数のネット情報も、
「現実世界」のゴールはもう見つけた。
なぜなら、答えは遠い神殿にない。
答えは、既に君の「手の中」にある。
光と影の二つの力
君の心は、一つの小さな宇宙。
人の極(きわ)みとは、その全てを持つこと。
優しく、全てを救う菩薩(ぼさつ)のように、
他者を愛し、秩序を創る光の力もあれば。
怒り、常識を壊す羅刹(らせつ)のように、
変革を恐れない破壊のエネルギーの影もある。
ネガティブな気持ちも、愛し、受け入れよう。
だって、それらは君を守る「警告の師」だから。
光と影、その全てを統合(あきらめ)て、強くなれ。
神々は概念的な「倫理」
君が感じる全ての「力」が、神々だ。
神とは、物質でも、特定の人格でもない。
概念(コンセプト)という名の、生命を動かすエネルギー。
神々は、君の心の中で、二つの道徳となる。
一つは、「概念的な道徳」。
人々を結びつけ、社会を築く秩序と善の力。
もう一つは、「概念的な背徳」。
停滞を打ち破り、古い規範を壊す混沌と変革の力。
どちらか一方に偏るな。
道徳だけでは世界は停滞し、背徳だけでは世界は崩壊する。
君の極みの力で、この二つのエネルギーを自在に使いこなせ。
内なるガイアの倫理
君の心には、多くの自分が解離(わか)れて「居る」かもしれない。
でも、その多面的な心こそが、一つの生命体だ。
地球が、海も、空も、生き物も、
全てを調整する「ガイア」のように、
君の心も、全ての自分を調和させる力を持っている。
さあ、外に出よう。
森や川を大切にすることは、
君の内なるシステム(心)を大切にすることと、全く同じだ。
探求するな。「今、ここ」を、ただ視聴感知せよ。
君自身が、宇宙の答えだ。
君は、神々の概念的な力を体現し、地球(ガイア)と共に生き始める。
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切腹最中
自分に合わなかった組織の事
ぐしゃぐしゃ言うな。
そうやって、権利をかざして義務を果たさない奴ってなんなの。
ただぼんやり言われた事だけしてたから何の為にそれをして、何がいけない。とかがわかんないのを人のせいだけにしたらダメだよ…

ココ
割り切りたいのに割り切れないみたいな

ゆうちゃん
回答数 16>>

秋津


しあますさん

やよい
子宮を摘出するまで、異性とは恋愛できなかったんだけど、私のセクシャルに名称は無いよなぁ。

あましび
無菌室と塊になれない迷子
ネクタージュースと泣いた翌日
魔が差した預言者と後部座席から見た人々
寛解しない聴力と明け方の篝火
針先の穴と原寸大の血小板
耳の穴の奥と海洞に浮かぶ泡
進化とアブスラクトを保つバランス
耳の穴の奥と海洞に浮かぶ泡/無菌室でかたまりになれない迷子にバースデーソングを/耳の穴の奥と海洞に浮かぶ泡/明け方の篝火が寛解しない聴力を包む/届かない声が耳の穴の中で泡になる
泣き虫と夏桜
森林を進めば蝶になるのに大勢の大人に囲まれています
#詩のこころみ

SS
「完全なる首長竜の日」のスピンオフといってはなんだが、小説内に出てきたのでついでに
(例の如く、あらすじは省略)
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主人公のシーモアはいわゆる帰還兵で、周囲の人間の話ぶりを聞くかぎり、どうやら精神を病んでいるらしい
妻はおおむねシーモアに好意的だが、妻の家族は彼に対し警戒心を抱いている
どことなくチグハグな会話が繰り返されるが、会話の中に戦争を思わせる気配はない
ともかくシーモアはイカれていて、妻の家族は娘がただ心配なのである
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シーモアが海で女の子と話すシーンの中で『バナナフィッシュ』が出てくる
この魚はバナナがたくさん詰まった穴の中に入るまではごく普通の魚なのだが、その穴に入るやいなや豚のように節操がなくなり、穴の中のバナナをむさぼり食うようになる
そして、太ったバナナフィッシュは当然のごとく穴から出られなくなる
…
ここの部分について、以下のような考察があった
一度イカれてしまったら(ここでの原因は戦争)、もう元に戻ることはできないというもの
一度ひしゃげてしまった心をいくら直そうとしても、どうにもならない
ぐしゃぐしゃに丸めた紙をいくら丁寧に伸ばしても、もう二度と元の綺麗な紙には戻らないのと同じように
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シーモアはホテルの自室に戻ると、唐突にピストルで自分の頭を打ち抜く
「完全なる首長竜の日」ではこのシーンの理由を、シーモアが『これ(今)が現実かどうか確かめたかったから』としていた
それもなんとなくわかる気がする
よりオーソドックスな解釈としては、
戦争などなかったかのように振る舞う世間への絶望
国民のために戦ったのに、その当の国民が帰還兵を蔑ろにする現実
戦争の前と後で変わってしまった(変わらざるを得なかった)自身の倫理観
行った行為に対する罪悪感
それでも自分は"普通"であると信じたい願望と、実際には既に普通ではない実像との相克…
などがある
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小説それ自体を読んでも、正直ピンと来なかった
妙にチグハグな会話ばかりが続き、出てくる奴みんながちょっとずつおかしいのではないか?というむず痒い感覚が僅かに残っただけだった
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しかし解説を読んで、少しだけ得心したような気になれた
当時はPTSDという用語はなかった
そのため、心的外傷に対する理解が薄かったのみならず、それは本人の気質が原因であると断定されることが多かったらしい
今ではその用語があり、半ば乱用されてる感もあるが、とりあえず名前が付く
しかし依然として状況が解決したとは思えない
内的なカタストロフを経験した人間
その原因に明確な名前や理由がある場合、それはPTSDと呼称し得る
しかし、カタストロフを経験しながらそれに名前がない場合がある(多分、世間で想像されるよりもたくさん)
その場合どうなるか?
ただ『名無しのカタストロフ』が当人の内面に残るだけである
"隠蔽された悲劇性"こそが、最も悲惨かもしれないのに
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海での会話のシーンで、シーモアが話した架空の魚『バナナフィッシュ』を少女は"見た"と言い張る
多分シーモア自身も信じていない、そのバナナフィッシュを
このシーンの真意は僕にはわからない
ただやっぱり、シーモアのみならず社会(世界)も少なからずおかしいのではないか?という気持ちになった
「それならば」とシーモアは、あんなにも淡々と自分のこめかみに向けて引き金を引くことができたのではないだろうか?
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僕もどこかシーモアに似ている(と、ある種の読者は思うだろう)
だけど僕はまだ諦めが悪くて、どこかで何かを信じているから、まだ最後の引き金を引く気にはなれないのである
…なんていうことにしておこうか、今は

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