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あおい

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シズ
を読んでみて、物理の問題を哲学的に解釈すると
哲学的に見ると、これは量子力学の思考実験である以上に、「世界は観測されるまで、どう存在しているのか?」、「知ることは、現実をどう変えるのか?」
という、存在論・認識論の核心を突いた問いです。
よくある説明は
「猫は生きている状態と死んでいる状態が重なっている」。
哲学的に重要なのは猫そのものではなく、
“状態が確定していない”のは、猫か?それとも私たちの知識か?という点です。
実在論 と認識論
ここで哲学は二派に分かれます。
実在論的解釈
箱の中では
猫はどちらかに決まっている→私たちが知らないだけ
古典物理的・常識的立場
「世界は人間とは無関係に存在する」
認識論的解釈
観測されるまで、状態は未確定である。
観測行為が現実を決定する。
カント以降の哲学においては、
「世界は認識の枠組みを通して成立する」
では、「観測」とは何か
ここが核心です。
観測とは、目で見ることなのか、記録することなのか、意識することなのか。
ここで哲学的問いとして
人間の意識は、世界に介入しているのか?
これが極端化すると、意識が現実を作る(観念論)。
それは神の役割ではないか?
という問題に行き着きます。
しかし、シュレーディンガー自身の立場としては
誤解されがちなんですが、
シュレーディンガーはこの思考実験を支持していません。
彼の意図は、量子力学の解釈を
マクロ世界にそのまま適用する危険性の批判
つまり、
「猫が生死不明なのはおかしいだろ?」
「理論の解釈に問題があるのでは?」
という皮肉です。
「見ないうちは、結果は決まっていないと考えると変じゃない?」
という話です。
「現実は、見るまで決まっていないのか?」
の命題に行きつきます。


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