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ロゼ
幼稚園児の1日が書かれているのだけれど
幼稚園児もなかなか忙しそうでした。
幼稚園の頃ってあまり覚えてないなぁ。
父の転勤で転園をしたけれど、
最初の園は全く覚えていない。
二つ目の園はほんの少しだけ覚えてるけれど
その土地も父の転勤で離れてしまったから
今となってはあの街の土地勘もないし
当時住んでいた家と園の距離感もわからない。
当時から方向音痴だった気もする。
学生時代は隣が保育科でみんな忙しそうだった。
絵柄がとてもかわいいです。
語感もとてもリズミカルな絵本でした。
#あさですよよるですよ
#かこさとし
#絵本

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むむ
高校最後の6時間授業頑張る

こ〜ちゃん🌱
年賀状がつないだ、30年分の時間
実家の庭先にあった洗濯機が、家の中へと移された日。
それは、母の退院に向けた準備の中で、いちばん大きな山だった。
重たい洗濯機が無事に収まり、配管も整い、スイッチが入るのを見届けたとき、
胸の奥で「峠を越えた」という感覚が静かに広がった。
母がまた、この家で暮らしていくための一歩が、確かに刻まれた瞬間だった。
年末が近づき、ふと思い出した。
――そういえば、年賀状を作らなければならない。
実家の年賀状は、いつからか私の役目になっていた。30年ほど前、父の目が病で見えにくくなり、
やがて日常の多くに介助が必要になった頃のことだ。
それまで父が担っていた年賀状作りは、
印刷屋に頼み、宛名を書き、投函するまで、すべて父の仕事だった。
だが、その役目は突然、母の肩にのしかかった。
ある日、母はぽつりと言った。
「もう、年賀状はやめようと思う」
父はもう、届いたはがきを読むことができない。
そして何より、介護に追われる日々の中で、
50枚、100枚という年賀状を準備する余力が、母の身体にも、心にも、残っていなかった。
そのとき、私はちょうどパソコンを買ったばかりだった。
画面の中で文字が並び、プリンターから紙が吐き出される。
表も裏も、自動で印刷される年賀状ソフト。
「僕がやろうか」
その一言が、すべての始まりだった。
それから毎年、実家に届く年賀状は、いったんすべて私の元へ送られた。
住所録を作り、通信面を考え、宛名を印刷する。
仕上がった見本を母へ郵送し、電話で一通一通確認する。
「この人には出す」
「この人は、もうやめていいね」
遠く離れていても、
年賀状を通して、私は実家の年末に寄り添っていた。
父が亡くなったのは、18年前。
それでも、年賀状は続いた。
父の代わりに母が、母の代わりに私が、
静かにバトンをつないできた。
そして今年。
病室で、母は言った。
「これが最後の年賀状にしたい」
時代は変わった。
年賀状は、もう当たり前のものではなくなった。
それでも、母の中では、
30年分の想いが、そこに詰まっていたのだと思う。
私は通信文を考え、
“年賀状じまい”の言葉を添えた。
それを病室で母に見せると、
母は何度もゆっくり読み、静かにうなずいた。
住所録を一人ずつ読み上げ、
出す人、出さない人を確認する。
その作業は、まるで人生を振り返るようだった。
父が見えなくなった年。
父が旅立った年。
そして今、母が病室で退院の日を待つ、この年。
年賀状は、すでに投函を終えた。
母が自宅に戻る頃には、
すべて終わっている。
けれど、終わるのは年賀状だけだ。
30年分の想い、
支え合ってきた日々、
家族の時間は、確かにここに残っている。
洗濯機の回る音。
印刷されたはがきのインクの匂い。
電話口での「ありがとう」。
それらすべてが、
静かに、温かく、
これからも心の中で回り続ける。
年賀状が終わっても、
家族の物語は、まだ続いていく。




夏恋

吉田賢太郎
「普通はこうだよ」と誰かが言う。
「それが常識だ」とテレビが言う。
「これが正しい」とスマホが光る。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみて。
その言葉は、**「だれの目」が見た景色?
その正解は、「なに基準」**で測った重さ?
世界はひとつの大きな塊じゃない。
ひとりひとりが持っている「心のレンズ」で
バラバラに切り取られた、カケラたちの集まりだ。
君が見れば「宝物」でも
隣の人が見れば「石ころ」かもしれない。
それは、どっちかが間違っているんじゃなくて
「見ている位置」が違うだけ。
「客観的」なんて、本当はどこにもないんだ。
それは、たくさんの「主観」が重なって
一番大きく見えている影に、名前をつけただけのこと。
だから、誰かの言葉に息苦しくなったら
その言葉の「持ち主」を探してみて。
「これは、あの人の基準で語られた物語なんだ」と。
意味を決めるのは、世間じゃない。
価値を決めるのは、流行じゃない。
君が、君の視点で、世界をどう解釈するか。
その自由だけは、誰にも渡さなくていいんだよ。
このポエムの解説(伝えたかったこと)
「大きな主語」に騙されないで
「みんな」「普通」「世の中」という言葉の裏には、必ずそれを言っている「個人」の主観が隠れています。
価値は「関係」で決まる
絶対的な価値があるのではなく、あなたがそれをどう感じるかという「解釈」こそが、あなたにとっての真実になります。
問い続ける力が自分を守る
「それ誰視点?」という問いを持つことは、他人の基準で自分の人生をジャッジされないための、心のバリアになります。

孝弘
我々も同様ですよ。気持ちがしんどい時は心を休めるための何かを、必ず実行してくださいね。どうしても休まらないならば、遠慮なく私に相談に来て下さいね。
あと数日で年末年始の休みです。ラストスパート、頑張りましょう。
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