理性の使用はそれを測定する技術がなかった時代において既に相当の発展を見たのであり(つまり、測定技術がなかった時代にあり得る最高の理性の使用として)、法という言語的操作のカテゴリーが現代においてこれほど軽んじられている事実からして、私たちはそれほど取るに足らない存在なのだと感じる。