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吉田賢太郎

吉田賢太郎

​🌟 歌の魔法と、見えない「宝物」のルール 🌟
​【タイトル】
​キミの「好き」を守るための、3つの光
​1. 🎵 楽曲(うた)という名の「種」:著作権
​歌いたい曲、心を揺さぶるメロディ。
それはね、**作詞家さんや作曲家さんの、心の奥から生まれた「種」**なんだ。
​その種が持っているのが「著作権」。
これは「自由に育てていいよ」っていう許可証。
YouTubeやニコニコ動画は、大きな畑の管理人(JASRACやNexTone)と「この種は使っていいよ」っていう大きな約束をしているから、僕たちは歌えるんだ。
​でも、忘れないで。
種を変えたり(替え歌)、勝手に誰かに売ったりするのはダメ。
作者さんの魂が傷ついちゃうから、それは**「心の同一性」**を破る行為だよ。
​2. 💿 伴奏(カラオケ)という名の「土」:著作隣接権
​僕たちが歌うために流れる、あのカッコいいカラオケの音。
それは、**「誰かが一生懸命、手間ひまかけて耕した立派な『土』」**なんだ。
​ポケカラや市販のCDの音源は、この「土」を守る別のルール、**「著作隣接権」**っていう光で守られている。
これは、音源を作った会社や人の頑張りを守るための光。
​だから、ポケカラの中で歌うのはOK。
でも、その「土」ごとスコップで掘り出して、別の場所(YouTubeなど)に持っていくのはルール違反。
「使っていいよ」と言われた場所だけで、大切に使おう。
​もし、その曲をYouTubeで歌いたいなら...
自分で演奏するか、
「この土はみんなに使ってほしい」と**作者さんが言ってくれている(フリー素材)**のを探してこよう!
​3. 💌 許可(きょか)という名の「道しるべ」
​もし、使いたい「種」や「土」が、どこにも「使っていいよ」って書いていなかったら?
​それは、道に迷っている宝物と同じ。
勝手に持って行っちゃダメだよ。
​大切なのは、「本人にたずねること」。
​公式サイトやSNSを探して、
「あなたの作った宝物を、こんな風に使ってもいいですか?」と、ていねいに声をかけよう。
​もし連絡がつかなくても、諦めないで。
大きな畑の管理人(JASRACやNexTone)に、**「この宝物の持ち主を探しています」**と相談する道もあるんだ。
​【まとめのメッセージ】
​著作権って、難しい言葉だけど、本質はすごくシンプル。
それは...
​「誰かの頑張りや、心のこもったアイデアを、大切にしよう」
​っていう、クリエイターとファンみんなの間の、思いやりの約束なんだ。
この3つの光(著作権、著作隣接権、そして許可)を守って、素敵な「歌ってみた」を届けてね!
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孝弘

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2025/12/29今日の一言。昨日東京の多摩動物公園で飼育しているオオカミが檻から脱走し、来園者を避難させるなどバタバタと大変だったみたいです。午後には捕獲したそうですが、原因が分からないと落ち着かないでしょうね。
発生したトラブルは原因究明をして、どう防ぐかを見つけるところまでが、一連の対処です。何か発生しましたら「何となく大丈夫だったのでもうOK」と終わらせないようにしてくださいね。
年末でバタバタしておりますが、頑張っていきましょう。
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けーき

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カラオケした〜い
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みんなSNSで食べ物の写真いい感じにあげてるの、あれやってみたいけどいっつも注文してテーブルに来たら写真撮る前に一口絶対食べてるんですわ
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はこ

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人って変われると思いますか?😌人って変われると思いますか?😌
本人にその意思があれば可能性はあると思う
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母と父の会話が聞こえてきて、父が浮気したような声が聞こえてくるんだけど、怖い不安
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バイトも餅つきもバックレてカラオケに行かせて、
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電車もめっちゃ空いててバスも日祝ダイヤになっててあれ?今日日曜…?!寝坊?!遅刻?!?!ってなって職場に遅刻ごめんなさいって連絡を入れたら年末の月曜か…😇
良いお年を〜
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sun☀️

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自分に被害者のラベルを貼らない。

相手を責める言い訳として
効き目のありそうなパンチを喰らわすには、

自分はとても可哀想だ、
というラベルを自らに貼って
アピールするという方法を取りがちだ。

私も彼との別れ際に
まさしくこれをやった。

当時はその方がより相手に
私の辛さ度合いが伝わって
共感してもらえるんじゃないか、という
ズレた下心があったから。

でもこの被害者ラベルを自分に貼る
ということは、

自らの足を
鎖で地面に固定するようなものだ。

口にガムテープを貼っているような状態、
と言い換えてもいいかも。

でもその“演技“をしている間は、

足を少し持ち上げるだけで抜けるような
鎖だとしても一生動けないし、

本当はガムテープなんてむしり取って
大声で助けを叫べばいいのに
声を上げないもんだから誰も気付かない。
なので当然自分の気持ちを理解してくれる
人は現れない。

この被害者ラベルを自分に貼るかどうかも
実は選択するのに十分な時間はある。

なぜなら
本当はどこかで分かっているはずだから。

いつも、自分はこうしてしまうから
人が離れていってしまうんだなということが。

散々繰り返しているから。

これは絶対に誰しもが分かる感覚
なんじゃないだろうか。

でもよくよく考えたら
解釈の余地なんて無限大にあるのに、

自分で自分のことを
可哀想な人だと決めつけるなんて
それこそが暴力だ。

悲しい、という感情はそのままあっていい。

でもそれは=私は可哀想な人、
ということではない。

自分の本音に気付く為に
起こさせられているイベントなんだな〜
くらいに捉えたらいい。

それくらい強く揺さぶらないと
今はまだ蓋を開けられないからね。

私は私を傷つけない。

ただただ、
その覚悟を持つことなんだと思う。


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