始まりの序章：交代の刻｜吉田賢太郎の投稿-GRAVITY(グラビティ) SNS

始まりの序章：交代の刻

空は鉛色に重く垂れ込め、都市は静まり返っていた。この世界の住人にとって、この静寂は慣れ親しんだものだった。何かが「交代」する直前の、嵐の前の静けさ。
昨日まで街を支配していたのは、ミダス。強欲の交代存在、全身を金と宝石で飾った異形の姿で、人々の心を際限ない欲望で満たした。彼の支配下では、誰もが富を追い求め、資源は特定の者たちの手に集中した。街は黄金の輝きに満ち、同時に貧困の影が色濃く差していた。人々は互いを蹴落とし、より多くを奪うことに躍起になっていた。だが、その狂騒も、今や遠い記憶のように感じられる。
都市の中央にそびえる、かつては誇らしげだった巨大な商業ビルは、ミダスの影響下で最も醜悪な姿に変わり果てていた。壁面は輝く金属板で覆われ、屋上には巨大な金の像が建てられていたが、その傍らには、富を失い、飢えに苦しむ人々の残骸が放置されている。そんなビルを見上げる者の目は、もはや欲望の光を宿していなかった。ただ、深い疲労と、漠然とした不安だけがそこにあった。
突如、空気が震えた。地面を這うような低い唸り声が、遠くから響いてくる。それは、巨大な獣が目覚める時の咆哮にも似ていた。人々は、互いに顔を見合わせる。この音は、次の存在が世界に顕現する合図だった。ミダスが去り、次に来るのは誰か。
街の東部、かつて活気のあった広場に、黒い靄が立ち込め始めた。その靄はゆっくりと、しかし確実に広がり、広場全体を覆い尽くしていく。風が、その靄を運んできて、人々の肌に触れると、全身の力が抜けていくような感覚に襲われる。
「…来たか」
広場から少し離れたビルの屋上から、その様子をじっと見つめる一人の男がいた。彼の名はレン。この世界の「交代」を記録し、その影響を分析することを生業とする、数少ない「監視者」の一人だ。彼の傍らには、様々な計測機器が並べられている。数値が急速に変化していくのを見ながら、レンは眉をひそめた。
「間違いなく…モルフェウスだ」
怠惰の交代存在、モルフェウス。彼の出現は、あらゆる活動の停止を意味する。ミダスが去り、人々が奪い合った後の疲弊した心に、この怠惰の甘い誘惑は、あまりにも強すぎる毒となるだろう。
黒い靄が最も濃くなった中心部から、半透明の影がゆっくりと立ち上がった。その影は、まるで夢の中にいるかのようにぼんやりとしており、輪郭は曖昧だった。彼の周囲は、時間の流れが淀んでいるかのように見える。鳥のさえずりも、風の音も、すべてが遠く、かすかにしか聞こえない。
モルフェウスは、何も語らない。ただ、その存在自体が、強烈な誘惑となって周囲に広がる。人々は、立ち尽くしたまま、瞼をゆっくりと閉じ始めた。彼らの表情には、これまで見たことのないほどの安堵が浮かんでいる。争いも、苦しみも、欲望も、すべてから解放されるかのように。
レンは、必死に自分を保とうとする。だが、身体が鉛のように重くなり、思考が霞んでいく。彼の脳裏に、監視者としての使命がよぎる。記録しなければならない。次の「交代」が来るまで、この世界の動きを。
「…記録…モルフェウス…顕現…都市活動…停止…」
辛うじて、彼は手元のタブレットに数値を打ち込む。指先が震え、視界がぼやける。やがて、彼の意識もまた、深い眠りの淵へと沈んでいった。
世界は、ゆっくりと、そして確実に、静止していく。傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲。五つの大罪が具現化した存在たちが、この世界を巡り、その度にすべてを変えていく。そして、人々は抗うことなく、その変化を受け入れるしかない。
この静寂の先に、次は何が待っているのだろうか。