それはそれとして、誤った成功体験による不都合な学習の恐れには共感をしながらも、叱り方についてはきっと理解するに足る概念や認知の獲得がなければ不要の恐怖の押し付けになるか、などと考えて心苦しくなったり。自分には知見も裁量もなく、第三者として沈黙するだけなんだが。