路草に栄養を与えなければいけないとは凡庸な悲劇でしかない。不毛であれば余計な迂回路を数える必要もなかったのだから。価値があるのは本当は草ではなくて足どりと、そして何より眼でなくてはいけない。路傍の草で栄養を取らなくては満足に歩くこともできないとは、これを何故嘆かずにいられるのか。