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凡人
ネルケ無方師が、『悟りの霧の中で』という文章を書いている。いや、正解には話しているのか?とにかく、読んでいてブッダ、あるいは上座部仏教が伝えてきたものと共通するところと、違うところがある。
まるで霧の中をゆくような、雲をつかむような話で、全部は説明できないが、私が分かる範囲で書いてみたい。


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こだ

みそら

きつね

でぃお
仕事納め!今の部署にバイバイしてきた!!
…でもオタ活するならここなんだよなーー
タヒぬために生きるか(成長無しの今の部署)、
生きるためにタヒぬか(成長ありの次の部署)、、、
難しい…
#美青talk #的野美青

れんき
無理な延命はしない。安楽○もさせない。愛する家族として、みんなで見守りながら最期まで一緒にいる。
どうかそれがあと5年後になりますように。23歳まで元気に生きて。

とらん
この衣装で披露すると、
あと普段と違って鈴の音も入った
演出になると、
こんなにクリスマス感もある
かわいい曲にもなるんだなぁと思って
すっごい感動した
りおちゃんがマジで可愛い
#日向坂46_東京ドーム公演
#日向坂46全国ツアー東京ドーム公演DAY1

み あ
1人追っかけるだけで精一杯。それでも足りてないけど。さくまくん以外「いっそ、嫌いになれたら。」
え、あの曲ってそういうこと?笑笑笑

まつり




せき@1
昼にMicrosoftEdgeからChromeに変えてPCでログインした時だと思うこれは。海外アカウント削除どうやってやんだ、めんど

LOVOTこ
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凡人 投稿者
悟りの霧の中で で、悟りについては、道元さんの説明と同じ。どこかの時点で仏になるのではない。最初から仏だと。 しかし、私は違うと思う。仏ならなぜ座るのか?座ったから、集中力と注意力がつき、雑念にもとらわれなくなった。そこを無視して「悟りたいから坐る」でなく「仏だから坐る」というのは違うと思う また、坐禅したあとも人生は続くが、ルールが変わる。「自分」が中心だったかつてのルールでなく、慈悲のルール、菩薩のルールに もし最初から仏なら、最初から菩薩、あいのるーるで生きれたのではないか? 私は曹洞宗の禅寺に参禅してたときも思ったが、「仏だから坐る」とか「初心者の座禅も道元の坐禅も同じ」みたいのは、やはり、どうしても違うと 「悟りの霧の中で」と言っているように、ネルケ師もまだ悟りがクリアになってないんじゃないだろうか?
凡人 投稿者
次にネルケ師の瞑想理論。 2枚目は呼吸瞑想に近い。 3枚目、“気づき”。 4枚目、集中力以上に“注意力”が重要。これは曹洞宗にはない考え、教えだ。
凡人 投稿者
悟りは一つではない こうして見てくると、一言で悟りと言っても、微妙に違う。同じ技法を使っても違う。 10月18日に取り上げたTNHも、今回取り上げたネルケ師も、またキリスト教的ヴィパッサナー瞑想の柳田牧師も。 上座部仏教のヴィパッサナーを用いているのに、宗派や教派を変えたりはしない。ゴエンカ式は、それでいい。宗派は問わない、ヴィパッサナーのノウハウをただ役立ててというスタンスなので、いいのかも 私は⬆か⬇に書いたが『自由への旅』に書かれている悟りを目指している。つまり、悟りとは、「無常・苦・無我」づくし、だ。ブッダに近いほどいいと。
凡人 投稿者
集中と注意 呼吸瞑想していて、集中力を高める。雑念が出ても、呼吸に意識を戻せばいい。雑念から離れられる。 集中力と同時に、全体を見渡す能力も必要。ここら辺の説明は小池龍之介さんや、呼吸瞑想、マインドフルネスと同じ。
凡人 投稿者
無銘さんがネルケ師はゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想合宿に参加したと書いてるが、間違いなさそうだ。 曹洞宗には“気づきmindfulness”がない。同じ安泰寺で修行してた山下良道師も、曹洞宗野中でなく、米国でTNHの本からmindfulnessを教わったと言うし。 なので曹洞宗にはmindfulnessが伝わっていないと見ていい。