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ちゃいる
いろんな人の投稿見て感じたのは、
賛成派の人は「個人として」の目線で見てて、反対派の人は「国家として」の目線で見てることが多い印象。
個人として認めるかどうかっていう点なら反対派と呼ばれる人たちも別に反対はしてなくて、その先にある法手続きの手間や将来的なリスクが明確になってないので漠然とした「安易に決められる話ではないし、今そこに時間やお金をかけなくてもよくないか?」という懸念を持ってるんだと思う。
コメント
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たなか
参加してみたいけど遠いんよね
rt

ポット

りばん

ヨネチ

やな単
あっっっっっっっっっついよ
雨じゃ、なかったん、さっきまで、涼しかったのに

📦東雲

†チカ

孤高

みそ

ここち
麴崇裕 冒頭から飛ばしてくるなぁ…穆三郎への猫なで声と安三娘への対応の落差よw。三郎を捧げる裴行倹の策に意表を突かれた崇裕…ここからは玉郎と裴行倹の腹の探り合いの様相。刺客は大長公主の差し金か…失敗の報告に癇癪おばさん発動。道中いろいろあったけどようやく西州に到着~
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だるま
たまにですが国家としてという立場を隠れ蓑にして差別を正当化する意見もちらほら見かけます…
じょいまん
個人として認められるべきものを国家として放置することに肯定的にはなれないっすね、、 賛成だけどもう少し議論をつめようならわかるけど、議論してる暇がないから反対は、純粋に人権意識が欠如してませんか。 多分、そういう人は経済や外交安保が優先だと言いたいのでしょうが、経済なんか20年以上解決できてないし、ウクライナ危機だって2014年からずっと戦争状態ですからね。その間、経済と外交安保以外の問題を止めてたら国家運営できないですよ。
かぼさん
金を他に回す場所あるでしょと思うんですよね
ぽちゃこ
同性婚は相続とか親権が主に問題だと思うんだけど、それが解決するってことは裏を返せば利用される可能性もあるわけで…当事者以外は関係ない!とはいかない
無
人は常にマイノリティになりうるので、マイノリティをケアできない国は、マジョリティ側にとって将来的なリスクになる。って考え方だと思うんだけどなあ