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臼井優

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質問 「一人の時間が好きで、結婚したくありません。わがままではないかと悩んでいます」 - 我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる(2026年1月22日)

1/22(木) 9:11   Yahooニュース

【質問】
 結婚したくないことが原因でもんもんとしています。私は昔から一人時間が好きで、独身のまま人生を全うしたいと考えています。

 わがままなのは分かっていますが、家に帰ったらどうしても一人になりたいのです。さみしくないのかとか、それでも結婚した方がいいとか、周囲の人から言われることも増えてきました。ですが私は、結婚とはお相手がいて初めて成立することなのに、なんて無茶を言うんだとか、放っておいてくれと思ってしまいます。

 皆さん心配してくださっているのに失礼ではないかとか、この手の話の時に何か失礼な態度になっていないかとか、やはり理由がわがまま過ぎるとか、そもそもなんでこんなに一人が好きなんだ等、考え始めると何が何だか分からなくなりました。何をどうすればいいのでしょうか。(30代女性)

【回答】五條永教(金峯山寺執行長)

【我知なヒント=今は、それでいいのです。あなたの生き方です!】
 
【返答内容】
 ご質問者さまは、独身のまま人生を全うしたいと考えていらっしゃいます。その理由は、一人時間が好きなので、家に帰ったらどうしても一人になりたいからということであります。そして、このことがわがままであると、ご質問者さま自身は思っていらっしゃるのです。

 独身でいることの理由がしっかりとしていらっしゃいますので、わがままであると悲観なさらなければ、もっと充実した人生になるのではないかと思ったりもします。

 周囲の人から、いろいろと言われるのも、ご質問者さまにとってはとても面倒くさいことだと思いますが、そうした方とのコミュニケーションも、ご質問者さまが望まれている「独身のままの人生を全うする」という目的達成に至るまでの通過儀礼の一つぐらいに思っておかれたらいかがでしょうか。

 今は、一人が好きなのですから、それでいいのです。それでいいから、わがままではないのです。あなたの生き方です。そんな「今」を積み重ねていけばいいのです。同じように思える「今」でも、さっきの「今」とは何かが変わっているのです。「今」は次々と目の前にやってきます。そんな「今」を積み重ねていくのが人生です。変化していないように思えることも、実は変化しているものなのです。

 この先の人生においては、その時の「今」を、素直に受け入れること。その時、一人が好きだったら、それでいいし、一人の好きさ加減が同じぐらいかもしれないし、大きくなったり、小さくなったりしているかもしれないし、それはそれで、その時のこと。未来のことは分からないのです。もし、結婚したいという気持ちに変化していれば、それはそれでいいのです。素直に受け入れればいいのです。
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臼井優

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大隈重信がテロ(爆弾襲撃)に遭った際、犯人を宥恕(ゆうじょ:罪を許し、寛大な心で接すること)したというエピソードは、彼の政治的寛大さと人格を示す有名な話です。

概要は以下の通りです。
1. 事件の概要 (1889年10月18日)
場所: 東京・霞が関の外務省門前
加害者: 来島恒喜(くるしま つねき・玄洋社の国権派団体社員)
理由: 大隈が推進していた条約改正交渉(外国人判事の任用を含む)が「軟弱外交」であるとして反対していた
結果: 大隈は馬車に爆弾を投げ込まれ、右脚切断の重傷を負う
犯人の行動: 来島恒喜はその場で自決(自殺)した

2. 大隈の「宥恕(寛大)」
大隈は自身を襲ったテロリストに対し、憎悪をぶつけるどころか、その動機を理解し、寛大な態度を示しました。
葬儀への参列・追悼: 自身が加療中、側近を来島の葬儀に参列させた
毎年参拝: その後も来島の法要に代理の参拝者を毎年派遣し、香料を贈った
動機の理解: 大隈は「国家のために身を投じた」という、加害者の愛国心(蛮勇)に対しては理解(評価)を示した

3. このエピソードが示唆するもの
この行動は、単なる「許し」を超え、政治的対立があっても個人の理念や行動力は認める、という大隈の器の大きさや、感情に流されず大局的に物事を捉える性格(怒りをコントロールする)を表していると評されています。

また、この爆弾テロによって大隈は片脚を失いましたが、その後も復帰し、後に首相を2度務めました。
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よぞら

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普通に本人から気持ち悪い言われて避けられてたけど。何も知らされずに裏でめちゃくちゃになってるより、教えてくれて助かったけど、普通にもう関わりたくない
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エントロピー

エントロピー

神様、仏陀、エントロピーは容赦なく
やりにくくしてくるよ否が応でもフルボッコという感覚もない「つまり何もさせてもらえない」感覚、耐えられないから好きにする、あれまたやらかした「よくよく原因考えたら」自分が間違ってるし、その頃だね、思ったの

あれ俺の感覚や正義感が全然お話にならなかったんだと「なので自分は全ては投げ打てられた」
ポンコツすぎたからだよ
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臼井優

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福沢諭吉(1835-1901)は、戊辰戦争(1868-1869)の動乱期において、幕臣(幕府の人間)としての立場を維持しながらも、旧幕府の衰退を冷静に見つめ、日本が西欧列強に対抗するために「学問」こそが必要であると信じ、慶應義塾の教育を止めることなく続けた人物です。

諭吉と戊辰戦争における主なエピソードや姿勢は以下の通りです。
1. 戊辰戦争中の慶應義塾と教育の継続
戦争中も講義を継続: 1868年(慶応4年/明治元年)、江戸が戦場となった上野戦争(彰義隊の戦い)の大砲の音が聞こえる中でも、福沢は塾生たちに平然と講義を続けました。

「塾は止めぬ」: 多くの幕府の施設や教育機関が閉鎖・解散する中、福沢は慶應義塾を閉鎖せず、実学(洋学)を教えるという「やるべきこと」を成し遂げました。

2. 幕臣としての立場と冷静な視点
幕府の人間として: 福沢は元々中津藩(大分県)の藩士ですが、幕府の洋書調所(ようしょしらべしょ)から幕臣となっており、咸臨丸でアメリカに渡るなど、幕府の技術・語学分野で活躍していました。

諦念と独立精神: 徳川幕府の時代が終わることを予見し、幕府の人間が旧守的な態度をとる中で、福沢は「政府が何になろうとも、教育は必要」という信念を持ち、新しい時代を見据えていました。

分捕り品のエピソード: 『福翁自伝』によると、会津戦争後に官軍の兵士が「会津で分捕ってきた」と誇らしげに着物を見せた際、福沢は内戦の惨たらしさを冷静に感じていた描写があります。

3. 西洋の文明と「実学」の推進
学問が国を救う: 幕末の動乱は、欧米列強に占領されかねない危機だと考えており、その差は技術・科学にあると認識していました。

教育の転換: 幕府が崩壊する中、福沢は西洋の学問(英学)こそが、これからの日本の国力を高める「実学」であるとし、塾生に「洋学に志ある者は学べ」と呼びかけました。

4. 戊辰戦争の最中、福沢を襲った災難
資料の紛失: 福沢は江戸での戦火において、自らの日記や執筆中の著作が紛失したことを『福翁自伝』で触れており、この時期の混乱が相当なものであったことを示しています。
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Halca

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卒論の進捗報告したんだけどいろいろ質問されても前みたいに返せないし、頭真っ白になってなんにも話せなくなるの本当にどうした
前できてたことができなくなってるのが苦しい
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