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𝐇𝐮𝐠𝐢𝐧𝐧
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AIによる文章や画像の生成が一般化するにつれ、「それは創作なのか」「創作であるなら誰のものなのか」という問いが繰り返し投げかけられている。私はこの問いに対して、次の立場を取っている。
AIを利用して制作されたものは創作であり、その創作の主体はAIではなく、それを用いた人間である。
この問題は、AIという新技術が突然生み出した新種の問いではない。1917年、マルセル・デュシャンが《泉》を提示して以来、「作品とは何か」「作者とは何か」は現代美術において100年以上にわたり検討されてきた。既製の便器を展示し、タイトルを与え、それを作品として提示したデュシャンは、ほとんど何も「制作」していないように見えた。しかしその行為によって、美術は大きな転換点を迎えた。作品とは、手で物を作ることによってではなく、意味あるものとして成立させる決定と文脈によって成立する、という考え方が定着していったのである。
この枠組みに立てば、AIを用いた制作も同じ構造を持つ。何を作るかを決め、方向性を与え、出力を選び、それを作品として提示するのは人間である。AIは表現を生成する装置であり、筆やカメラや既製品と同様に、創作のための手段や素材の側に位置づけられる。したがって、AI生成物を作品として成立させているのは人間であり、創作の主体もまた人間である。
この議論を混乱させないために、私は三つの論点をはっきり分けておきたい。
第一の論点は、それが創作であるか、そして誰の創作かという作者性の問題である。これが本稿の中心的な問いだ。
第二の論点は、その創作に用いられたリソースが正当に用意されたものかという倫理と権利の問題である。学習データや素材の取得が適法かどうか、他者の著作物を不当に利用していないかという問いは重要だが、それは第一の論点とは別の次元に属している。違法コピーで作られた映画や盗作小説が違法であるとしても、それが誰かの創作であること自体は否定されないのと同じである。
第三の論点は、その作品が優れているか、価値があるかという評価の問題である。AI作品が浅い、つまらない、量産的だという批判はあり得るし、それは批評として正当である。しかし、それもまた第一の論点とは別である。出来の悪い作品であっても、それが創作であることや作者が存在することは変わらない。
第一の論点――それが創作か、誰の創作か――を検討するにあたっては、第二と第三の論点を意図的に切り離さなければならない。切り離すべきであって、無視すべきではない。倫理や権利、そして作品の質は、それぞれ独立した重要な議題として、別途検討されるべきである。
現在のAIをめぐる混乱の多くは、この切り分けがなされていないことから生じている。リソースの問題や作品の質への不満という第二・第三の論点を根拠にして、第一の論点である作者性そのものを否定してしまう。しかしこれは論理的な飛躍である。
デュシャン以降に積み重ねられてきた現代美術の作者観に照らせば、現時点での主流的な理解は明確だ。作品とは、それを作品として成立させた人間の行為によって成立し、その人間が作者である。私はこの立場に立って、AIを用いた創作を創作として認める。認めた上でこそ、第二の論点である倫理と権利、第三の論点である作品の質について、冷静で実りある議論が可能になると考えている。
ちなみにこの文章もAIの手を借りて書かせたものであるが、紛れもなく『私の投稿である』ことを明記しておこう。

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