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ある人の話によると、人の内面には「主人」的要素と「奴隷」的要素の両方が棲んでいるという。主人サイドが過剰だと、自分の外部に奴隷を求めるようになる。奴隷サイドが過剰だと、自分の外部に主人を求めるようになる。それでバランスを保とうとする。
自分は基本、奴隷側に立とうとする心的傾向を持っており、それゆえ主体性・能動性の強い人物と関わりを持つ事で安心する。だが、優しさや思いやりの蔓延する社会では、はじめ情に厚い性格だと思われた人物が、だんだんと化けの皮が剥がれてきて、さりげなく管理・支配したがっていた事が分かってくる。こうなるともう、信用できず逃げたくなる。
私が「主人」的人物を求めやすいのは、自制心の弱さや道徳観の脆さに起因しているものと思い、少し前に中国哲学を齧ったが(そして一時は強い魅力を感じたが)、倫理道徳の形骸化した社会において、これを信条とするのは無理があるように思われてきた。吉本隆明の言葉を借りれば、共同幻想として成り立たない。
とすれば、いっそ人間心理を言語によってザクザク切り開いていくフランス現代思想の方が、自分の核とするのに相応しいんじゃないかと思った。彼らの言葉は、管理社会の偽善性をとことん白日のもとに晒してしまう強さがある。それはしばしばアンモラルな要素を含んでいるが、これは逆に言うと、倫理的・道徳的言語を超えた所で物事の本質に肉薄できるという事だ。
生きた人間を主人とするには、今の日本社会で生活している人々は、あまりにも脳内お花畑で、その上しかも狡猾で、法や倫理を自分の都合で振り回してくる。彼らは日々の生活において、「その外側」を常に生きているはずなのに、改めてそれを言語化する為の努力をしない。本当の事を言ってくれよと素朴に思う。
私は学術の世界を主人にする。それは唯一神のような特定の人格を持ったものじゃなく、汎神論のように多種多様な神様が乱立しているイメージ。シラケつつノリ、ノリつつシラケる。その繰り返しにより、自分に相応しい主人のイメージをブリコラージュ的に創造していく。
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がどうなるかと言うと、阿頼耶識に貯まります
これは訳すと「蔵」になるので
過去世から現在世、さらに未来世まで永遠に溜まり続ける、ということになります
だからお念仏(名号)はある意味、気休めに過ぎない
例えば、京都アニメーションの放火殺人事件がありまして、矛盾なのは死刑は一回、何人殺しても、という法律の矛盾にはなるのですが
お釈迦様風に説明すると、あまりに悪業が溜まり過ぎて、八大地獄の最下層「阿鼻地獄」に
落とされて、それこそ未来永劫苦しみ続ける
というまさに、因果応報となります〜

あや
悲しい🥺
で、その元カノと今日深夜通話するとか
ホンマなのかしらんけど!
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こんな素敵なお返し、、 ありがとうございます😭😭💓 そうですね、絶望でしたら慣れるほどに味わった気がします。そのせいか、絶望していることに少し前まで気付いていませんでした。 思考停止できたらきっと簡単ですよね。相手と同じ土俵で戦えばいいのでしょうし。 でもそうではなく、なんとかしようと思考を巡らせて対処しようとするから「考えることがやめられない」のだと思っています。 これはある意味、思考に縛られていますが…できるだけ自由に身軽にいたいものです。
どこかの宇宙人
なんだか腑に落ちました ありがとうございます