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なお🏕️🚴💨
【努力でもらうのは挑戦権
そりゃ運もからむのは当然です】
努力しても報われない時の方が多いし
チャンスって気付かない時もある
それも全部含めて
人生なんだよなぁ
#AquaTimez
#あすなろ

アスナロウ
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涼
What Is Hip?

R

ウタタネ
急な不幸がその家にあったという
命は果てるもの 分かってはいるけど
何もかも思い通りになったとしても
すぐ次の不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷付いても
いつでも微笑みを
そんな歌が昔あったような
今こそ その歌を
僕達は歌うべきじゃないかなぁ
いつでも微笑みを
そんな歌が昔あったような
悲劇の真ん中じゃ その歌は
意味をなくしてしまうかなぁ
もし僕がこの世から巣立って逝っても
君の中で僕は生き続けるだろう
そう思えば何とか やっていけそうだよ
そう だからいつも いつでも微笑(えみ)を いつでも微笑を
いつでも微笑を
いつでも微笑みを from HOME TOUR 2007.06.15 NAGOYA

紫苑/しおん🐈⬛
回答数 40>>
正しい/間違い。
できている人/できていない自分。
こうした二項対立は、判断を速くし、短い安心感を与える。その一方で、思考の幅を狭め、自分自身の感覚を置き去りにする。
さらに「普通」「一般論」「あるべき姿」といった他人基準が重なると、人は自分の人生を、自分以外の物差しで測り始める。
ただし、比較そのものが悪なのではない。人が比較をするのは、多くの場合「もっと善く生きたい」という願いからだ。自分の位置を確かめ、前に進んでいると感じたい。その衝動は、ごく自然で人間的である。
ダイナマイトを開発したノーベルも、破壊を目的としていたわけではない。トンネル掘削を楽にしたいという願いがあった。価値を歪めたのは思考/道具ではなく、それをどう使うかという人の心だった。比較も同じで、自己確認の為に使われる限り、それは人生を支える道具になり得る。
問題が生じるのは、比較を用いて他人を貶めたり、支配しようとしたときだ。その瞬間、比較は安心を与える道具から、価値を歪める凶器へと変わる。そのリスクがあるから、人は「比較するな」と言葉を強めて止めるのだろう。
他人基準の二項対立を捨てれた時、
人は少しだけ自分に優しくなれる。
勝っているか負けているかではなく、
納得できているか。
正しいか間違いかではなく、
満たされているか。
コーヒーを味わう時、「あいつよりも俺の方が美味しいはずだ」と思って飲む人は少ない。多くの場合、「美味しいね」と感じられれば、それで十分だ。人生も同じで、比べて勝つ幸福と、ただ味わう幸福は別物である。
比較をやめることが目的なのではない。比較に縛られなくても生きられる瞬間を、少しずつ増やしていくこと。その先に、人は「正しい人」ではなく、自分の人生を生きる人として立っていられる。

🧸

Thomson
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