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ジョリー
白丁花(ハクチョウゲ)
何か年末っぽい植物ないかなって思ったけど1番抵触するかもって感じがこの子しかいなかった
言わずとしれたミニ盆栽の鉄板素材
花にはほとんど興味はないけど
この白丁花の花は本当に可愛くて綺麗だと思う
盆栽カテゴリなので水はけのよい用土に土が湿ってようが湿ってなかろうがほぼ毎日たっぷり水を与えている
実は2代目で初代の斑入りは土の具合を見ながら水をあげていたら干物になってしまったからだ
この白丁花は今年の春先にビバリウムにする予定
たのしみ〜


みなと
#ゲイ #タロットカード



はくちゃん






ジュデッカ
回答数 14>>
ゲーム理論のような、ある条件の下で、一定の手続きのなかで利得を最適化する事を複数で行うことをゲームというのであれば、AIに作らせること自体はやったらいいんじゃないでしょうか。
なんとなくこの場合、そもそも「方程式」のかたちにできるのかどうかはわかりません(少なくともルールや状態空間上のベクトル値の取りうるべき範囲として条件分岐がいくつかあったりすると思うが)「自分では細かく検証はしない(する手間が取れない、割に合わない)」というだけで、解く方法そのものは時間をかけて観察すれば見えてくると思うので、論理的な厳密解が出せなくても、AIは既に将棋や囲碁やチェスなどでは試験的に始まっている(「確実に勝つ」ための手法が編み出されているわけではないが、そのようなところを目指しているのではないかなとは思う)ので、ルールが決まっているならその解き方を探求させることは「あり」なんじゃないでしょうか。
問題は、そういうところ(AIにやらせれば解決しうるところ)を人間ができなくてはならなかったという歴史に対して、未だにそこ関心がつよい人たちがAIに対して拒否反応を持つという点ではないでしょうか。
AIがそのような得意分野を持つということに関して「職を奪われる」「存在する意味がなくなる」と不快感と共に考える人たちは多いですが、人生のなかで自分の身に起きている問題を階層的に捉えて「どの部分は自分でやらなくてはならないか」「どの部分は助けがあれば任せてもよいか」を整理して解決に当たるという思考ができるなら、AIとの共存(という位置づけでゲーム解方程式を探求させることへの肯定的な見方)も可能ではないかと思っています。
つまらないことをダラダラと書いてしまい申し訳ありません。
しばらくしたら消します。

まかろん🍮

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