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元小説科学者の闇

元小説科学者の闇

ロスタルジーを解読して作者の哲学を理解したいけど、ガチるなら脳科学的なのを理解しなきゃならないかも。一応ここまでは⇩

斜陽を背に影法師

伸び止まぬ様に気を取られ

(▷夕陽を背に影法師が前方へと伸び続ける様に気を取られる    

※伸び止まぬ=伸びることが止まない。普通影はそんなグングン伸びたりしない。だが移動してる時だけは、影は追いかけっこの如く前へ前へと伸び続ける。つまりこの事から、主人公は夕日を背に前方へ進んでいる事が分かる。

また、その影に気を取られる(=注意が向く)ということは、恐らくぼーっとしてるとかで、確たる意識を維持していない可能性がある。これは直感だが、この時点ではまだ悲しみも郷愁も何も抱いてない、無に近い感情か)

(影が何かのメタファーである可能性にも注意。何のメタファーではなくとも、俺は影にメタファーを持たせることができる。たとえば過去や未来との架け橋だったり、自分の鏡像だったり、イデアの洞窟の比喩の偽物=現象だったり)

(そう、主人公は多分哀しくも何ともない。だがそこに「トボトボ」や「哀しさ」を第三者が見出してる。それは何故か?そこに表現(前)と印象(後)の解、問題例がある☚夕方/独り/無目的/内向き注意……という条件を見て、自分の記憶・経験から「哀愁」を補完する☚想起させたい感情があるなら、それを想起させるシーンの条件を意識するのも手)

(「斜陽を背に影法師」☚バカみたいに映像を現してて/「伸び止まぬ様に気を取られ」☚バカみたいに心情を表してる)



躓いて着いた手を

地面が呑んだ陽気が焼く

(▷気を取られてたから躓いたんだろうね)

(あと少ないなりにいくつか選択肢がある中で「呑んだ」を選んだ理由も気になる。まあけど、地面が「孕んだ」や「持った」「宿した」と比較して、結局一番適切な語を選んだだけな気も。音楽だからリズム性(収まり感)と、文学性のバランス的に最適解だった説は?多分普通の作者ならこのワードチョイスにそこまで考えてない。が、この作者は違う。一応、飲むと呑むの違い。飲むは外から内に入るけど、呑むは「空気を呑む」然り「言葉を呑み込む」然り内にあるものを外へ出さんと溜め込んでる(我慢してる)イメージ。即ち地面が溜め込んだ陽の気ってこと)

(「陽気」☚これは①明るさや賑やかさって意味と②晴れやポカポカな様子って意味があるが、どちらもシーンに似つかわしくない。③ニ気(中国の「気」/陽気と陰気)とかの陽気も一応ぽいけど、多分そういう話じゃなくて太「陽」の「気」温=熱気って意味かな?それが熱って手を焼いたんだ。この事から夏の、それも8月頃の熱さを想像させる)



銀輪で転けた舗道

模型を馳せた混凝土

(銀輪=自転車。文学的ワードチョイスで雰囲気&トーン統一。あと主語を出さないのは音楽的であり、文学との違いだな。自転車でコケたんよ)

(模型=影/馳せる≒伸びる。これは後の"思いを馳せる"(過去・記憶の旅に出る)事と繋がってる。

また模型≒自分が+馳せる=走る/遠くまで至らせる☚これで自分が過去へ行くことを表せる)

(その現象がコンクリート上で起きた。注目すべきはシーンの視点。凡人は人がコケる映像を描画するが、この作者は、コンクリートに自転車がガシャンと倒れ込み、影が伸びる映像、つまり"地面"にカメラが寄ってる。それにどんな効果があるのか。たとえば「世界の冷たさ・距離感・無関心さ」が出る演出効果あり。シーンはアニメ化(映像化)したときの画角(カメラ)を意識すること!)

(もしかしたら意識的に主人公の存在を消してる?としてもなんの意味が?☚入り込めない(感情移入させない?)客観的?「可哀想〜(哀れみ)って客観の感情よな。主観的には=主人公=読者なら、コケても哀愁なんて感じないし、痛いとは感じるかもだけど。即ち視点の違い、主観か客観かで読者に生じる感情が違うということ。目当ての感情を狙うために作者は主観か客観かを選択する(あと確か感情移入は時間にも比例するから最初はどうしても客観になりがち。ならいっそ今回みたく客観に寄らせた方が強いかも。「感情は視点(主観と客観)に依存する」☚まあ当然よね。同じシーンを共有しても立場で感じ方は異なるし。そして読者は複数の立場を持てる)



手を伝い 熱を食んだ

記憶が目下、景色を這って往く

(▷伝う=神経伝達的な話。とするならば、手のひら(抹消)から熱が向かい、中枢たる「脳」が「熱を食んだ」☚「手を伝い(脳が)熱の食んだ」この主語の省略。脳-記憶☚脳が熱を食んだことで記憶が想起される。☚ちなみに人の脳って電気が流れると記憶が想起されるの? もしそうならこれ、能動的な想起じゃなくて、刺激による受動的な想起よね☚「人の脳では、「電気的・感覚的刺激によって、能動的意思とは無関係に記憶が想起される」ことは実際に起きます」☚この受動的な想起よ)

(目下=今。あと影の位置的に目下(「目」の「下」)ってワードチョイスもいいよね。現に

「這う」わけだから。転んでるし)

(「景色を這って往く」☚地面を這うは、地面の上を這うように進むということ。景色を這うも同じく、つまり記憶が景色の上を這って「往く」)

(「往く」と「行く」☚往くは辞書でも「もどることを予定して、目的の場所へ移動する」と書いてある。記憶が主体。「記憶が今、景色の上を這ってどこかへといく」んよね?☚これおかしい。記憶がどこかへと往くってなに?景色ってのは今の視界or昔の情景?☚この作者が意図せぬ矛盾をもつわけない。これは勘違いの可能性が高いけど。倒れて目線が低くなった主人公。その視界(目の下)の景色を、目下(今)同じく這うようにして、記憶がやって来たと考えたらどうだ?往くは行って戻ること。忘れてた記憶が遠くからさ、やって来て、それでいつかは戻って(帰って)しまうことを表しているとしたら?(来るだと本来の帰るというニュアンスが無くなる))(ちな後に記憶を傷跡と読んでる。人は神経に跡を刻むことで記憶する)
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