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臼井優
献血→最も金がかからず、コスパタイパの
良いボランティア活動→入試全般
裁判傍聴→裁判所事務官の採用を狙うなら
刑事政策の講義→検察官、検察事務官
を狙うなら
というように、入試や面接はありとあらゆる
情報を仕入れ、かつそれを判断する
昔は予備校や塾すらなかったし、過去問はほぼない 次にでき始めた
しかし、再編しだした
と、次々に変化していきました
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げっこう
回答数 86>>

赤ちゃん
一番しっくりくるのは、フランスの言語学者のエミール・バンヴェニエスト
彼はまず、「聖なるもの(ま、平たく言えば宗教だな)」を①儀礼(慣習やルール)と②神話(ストーリー)の両立と定義して、そのどちらかが欠落したものを「遊び」と定義している
遊びのうち、①だけなら例えばスポーツ、②だけなら例えば映画
アイドル的な「推し」行為の場合、ファンだけで共有されてる慣習としての①もあるし、パフォーマーに密着して②も見せることもできる けど、「聖なるもの」とまでは行き過ぎておらず、かといって「遊び」に振り切ってるわけでもない
つまりその中間だから、居心地やハマり心地が良いんだろうな、と
この説明が一番しっくりくる

れい
聞いたらすぐ答えてくれる
わかりやすく噛み砕いて説明してくれる
肯定してくれる
強迫性良くなりそう
としゆき
回答数 20>>
その中でも行間や段落の取り方といった、論述の内容そのものに対して、段階だった構築や論理的な筋道の明示のやりかたなどの、読み手に配慮する文章を組み立てる「センス」というものが知性的能力とは別に求められる。
この聞き手への配慮というものは、いわゆる学者というジャンルの区分それ以前の、意思の伝達というコミュニケーションの基本的な要素であるとも考えられ、学術書籍も論文も主張という言説の伝達を目的とした言語的な行為だと考えられる以上、そうしたセンスは必要不可欠なものだと判断できる。
しかし、必要以上の読み易さや感情的な印象に強く訴えかける画像の添付といった、(言い方はあまり好ましくないが)読者の読者体験に媚びすぎた論述で読者の支持を得ようとするものは、ものごとの解を追求する哲学的試みとは合致するとは言えない。
感情への同意は人間性そのものに対する共感であり、論理への同意は主張への真摯すそのものに対するリスペクトである。
必要以上のセンスで賛同の意を求めるの共感性の誘致は娯楽としてコンテンツ発信でしかなく、主張を提出するという読み手への配慮としてのセンス以外は、過剰な装飾品で構造の中身と読み手の認識にもやをかけうやむやにしている、と言っても言い過ぎではないはず。

ヒラメ
学生最後の冬!やりたいこと全部やって気分よく卒業したい(*´ω`*)

のあ

レオ
SQの話!
この世界普通の人間のが少ないのでは?
ユーリンチーって呼ぶのかわいおよね!
確かに情報集めるだけになってて、
相手の気持ちとか疎かにしてたかもね!
最後にはちゃんと伝えたからユーリ偉い!
最初の投票でグノーシア当てちゃうのはデカいよね!
レムナンがグノーシアは考えられんよな笑
しげみちとククルシカとか…ちょっと雑魚いな笑
セツがドクターなること多い気がする!
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