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いっちゃん📀🎧


冬の音楽
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まる

お絵描き初心者🔰
どうしても魚の婚姻色とか鳥の求愛ダンスみたいなのを想像してしまって
視線や仕草、表情で好きを伝えてほしい

ハルシオン❌
デンジはずっと、欲望に正直で単純なキャラクターとして描かれてきたけれど、レゼ編では初めて「自分で選びたい」「この気持ちは本物かもしれない」と迷う姿を見せる。マキマか、レゼか、という二択は、単なる恋愛の選択じゃない。支配され、利用される側の人生を続けるのか、それとも傷つくかもしれないけれど自分の意思で誰かを好きになるのか、という選択だったように感じる。
そして何より切ないのは、レゼもまた「自由」を夢見ていたという点だ。彼女も兵器として育てられ、普通の人生を奪われた存在だった。デンジと笑い合っていた時間は、任務でも嘘でもなく、きっと彼女にとっても本当に救いだったはずだと思う。だからこそ、敵として刃を向け合う展開は、単なる裏切りでは片付けられない悲しさがある。「好きだった気持ち」と「生きるために選ばされてきた道」が、どうしようもなく噛み合わない。
ラストの、あの“待ち合わせ”は、チェンソーマン全編を通しても屈指の切なさだと思う。デンジが自分の気持ちに正直になって、勇気を出して走った先にあるのが、希望ではなく、あまりにも静かな絶望だというのが残酷すぎる。あの瞬間、デンジはまた一つ、「普通」を失ったのだと思う。しかもそれは、戦いで奪われたものじゃなく、選ぼうとした未来だったからこそ、余計に痛い。
レゼ編の切なさは、「愛してもいい」「夢を見てもいい」と一瞬思わせてから、それを徹底的に否定してくるところにある。でも同時に、デンジが“人を好きになる心”を手に入れた編でもあるのが、救いなのか、呪いなのか分からない。ただ確かに言えるのは、この編を読んだあと、チェンソーマンという作品が単なるバトル漫画ではなく、「孤独な人間の物語」なのだと、はっきり突きつけられるということ。
レゼ編は、読み返すたびに「もしも」を考えてしまう。もし普通に出会えていたら。もし兵器じゃなかったら。もし、もう少し時間があったら。でも、その“もしも”が叶わないからこそ、あの物語はあんなにも美しく、そして苦しい。切ないという言葉では足りないほど、静かに心に残り続ける章だと思う。


なぽん⟡.·*.💫⭐︎
なんか今日……( ´◔‸◔`)
たくさんありがとうございました( . .)"
今年は隙あらば歌っていきたいと思っています!
よろしくお願いします((。´・ω・)。´_ _))ペコリ
あと発声なしはあかんですね
裏声飛んでった。・*・:≡( ε:)


あくび
私が一昨年付き合っていた人に最後に送った感謝のLINEに、1年の時を経て「笑」という返事が来たので、受け取る側からすると滑稽に見えるのかも
心の中で、ありがとう
いっぱい優しさをもらったし、すごく楽しくて幸せだった

しば🕯️🧸ᙆƶ

たまてゃ
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とーこ

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やばすぎて
鳥肌立ってる!!!
#prime847

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#今夜はナゾトレ

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かんな
スナッフルス買い忘れたのでまた北海道行きます
あと普通にツマミ買えばよかった
あと沢山アイス食べとけばよかった
ゆきこんチーズも買えばよかった
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Mio❀.*゚
いいお誕生日だったねっ🙌 今度はしっとりいこかな *.⋆( ˘̴͈́ ꒵ ˘̴͈̀ )⋆.*