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しゅん

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ある物事の「本質」とはどのように定義されているものなのでしょうか。
本質という言葉を見かけるたびに、その事象における特徴を象徴するもの、そのものがそれとして成り立っている根本的な性質や、欠かせない要素を十分に説明しきれていないことが多いように思えます。
私の場合は本質とは「対象を様々に変化させた時に普遍な性質であり、それが消失すれば対象が成り立たない根本的性質」という苦しい定義でなんとか納得していますが、中々主観的すぎて定量的な議論には向かないと思えます。
本質の普遍的な定義を私は存じ上げませんが、主に三つに定義を分類できると考えています。

例えば、本質とは「その対象が存在するための必要条件」といういわば存在論的な定義があります。
他にも「我々がその対象を同定するための基準」という認識論的な定義、「その対象が果たすべき機能・役割」という目的論的な定義もできるでしょう。

存在論的本質では科学的な定義ですが、これはあくまで必要条件な訳で何か真を食ったような世間で呼ばれる本質とは少し乖離しているように思えます。

認識論的定義ではここでいう基準は社会的規範や価値観は自己の知識的集合からその域を出ないことから、他者との知識的集合の共有する要素数が少なければ少ないほど基準は違ったものになるという主観的性質を含んでいるため、普遍的な定義とは程遠いです。
目的論的定義では例えば水とは喉の乾きを癒すものという見方もできますがこれもかなり文脈依存的で普遍的定義とは言えません。

思うに、本質は少なくとも認識論・存在論・目的論など三つ以上に観点で解釈されうるために統一的な定義はなされてこなかったと考えます。
そして一般にはこれらの意味の違いを意識せず生後から経済や環境によって形成される価値観・常識を元に感覚的に事象を捨象し中心的特徴を感覚的に述べている、ということになると考えられます。
故に世間一般の文脈における本質とは自己の価値観や視点によって対象を捨象する要素は異なるために一意に決まらないものであると言えます。

では少なくとも本質と言われるものの多くはどういった特徴付けがされているのでしょうか。本質が環境や様々な要因によって決定つけられる主観的な価値観に左右されるものだと認めた上で、本質と呼ばれるものの共通要素を探れば世間的に乖離しない本質の特徴や断片的な意味づけができると思います。

まず現時点での本質の特徴とは次の通りです。

本質が客観的な実体を指すのではなく、「ある視点から対象を捉え直し、最も重要だと判断した要素を抜き出す」という主観的な『機能』または『営み』そのものを指す。

まず一つ目に「捨象による単純化機能」があると言えます。
複雑な現実をそのまま扱うことはできません。そこで人は、「本質はAだ」と宣言することで、意図的に「B、C、Dといった要素は、今は重要ではない(あるいはAに従属するものだ)」と切り捨て、議論の焦点を絞ります。 これは、多元的で無数のパラメータが絡み合う現実から、自分の価値観に基づいた秩序や物語を強引に見出す行為とも言えます。

二つ目に「暗黙の文脈依存」があります。
目的論や認識論はまさにこの側面を持っており、本質が語られる時、必ず「何にとって?」という暗黙の文脈が存在します。
例えばよく引き合いに出される本質の具体例として
「この問題の本質は金だ」(=解決という目的において)
「人間の本質は理性だ」(=動物と区別するという認識において)
「仕事の本質は自己実現だ」(=働く意味という目的において)
といった具合にです。
この暗黙の文脈(視点・価値観)を共有できていない相手とは、「本質」の議論は永遠に噛み合いません。私が以前「価値観の擦り合わせは環境・経済・精神に起因する価値観という社会的階層による正義という名の不条理の暴力」と指摘した通り、この文脈の押し付け合いこそが対立の原因となっています。それ故にこの意味での本質は社会的階層に依存するという、ある種不誠実な定義とも言えるでしょう。

三つ目に「不変性・根源性のラベリング」があります。
本質という言葉は、単なる重要な特徴以上の響きを持ちます。 それは、「これがなければ、それは"それ"でなくなる」という、一般における本質に対しての認識だと思います。
言えば、本質はAだと語ることは、私はAを最も重要だと考えるという主観的な価値判断を、Aは客観的・普遍的に最も重要であるという客観的な真理であるかのように格上げするレトリックになっています。

これらより、世間一般で言われる本質の共通要素とは、
「対象をある特定の文脈(価値観)から眺め、重要でない要素を大胆に切り捨て、残った最も根源的・不変的だと信じる要素に『これが真理だ』というラベルを貼る行為」
であると言えます。

したがって、本質とは「対象に客観的に備わっている核」というよりは、「観測者が、どの視点から、何を根源と見なすか」という解釈の表明に他なりません。結局のところ本質とは、主観的な主張を根拠なしに客観的・普遍的に見せる記号として機能しているに過ぎないのです。
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