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ネクサス6型

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既出だったら恥ずかしいんだけど
漫画でた時からクソうるさく友達に語ってた
「ルックバックは藤本タツキ版once upon a time in Hollywood説」をここに語ろうと思う。
ここからはネタバレ注意です。



似通ってるって思ったのはラストのシーンで、 Hollywoodでは「主人公がヒッピーを倒して起きるはずだった悲劇を回避した後、主人公が怪我して救急車で運ばれる」って展開があるんですけど、ここがルックバックのラストの主人公の空想と展開が似てると。目的も似通ってる。
件の映画を作ったタランティーノ監督は
シャロンテート事件(現実で起きた事件)に
相当ショックを受けていて、そこから
「ハリウッドはこんな事件でヒッピーどもに屈するはずがない」って考えでこの映画を
作ったと聞きました(確かインタビューが何かでそう言ってました)。ここがルックバックの作品内の心情とリンクしてる気がする。タランティーノ監督自身が映画という手段を用いて、ルックバックの主人公と同じ「空想」を行ってるわけです。要するにルックバックは Hollywoodのそれを作品内で行なっている。悲劇と悲劇の被害者をもう一層「創作の皮」で包んでるって言うのかな?レイヤーと表現した方が分かりやすいかもしれません。
藤本タツキ先生の代表作「チェンソーマン」の作中組織デビルハンター。彼らの服装がスーツなのはタランティーノ監督の代表作
「パルプフィクション」から着想を得てるとも
聞きますし Hollywoodをタツキ先生が
観ていない事はないでしょう。
ただこの二つには明らかな違いが一つあって
Hollywoodは空想のまま終わるんです。
作品全体が監督の空想なのだから当たり前ですが
しかしルックバックはそうはいかない。
主人公の空想は断ち切られるんです。
最後主人公は空想の中で立ち直るのではなく
現実で立ち直るんです。私はそこに藤本タツキが描きたかったメッセージがあるのでは
と思いました。
両者の違いから見ると要するにタツキ先生は
「死は空想で癒せない」そう言いたかったのではないのでしょうか。
空想は確かに人の痛みを和らげるかもしれないけど、最後にその心を癒すのは現実だけである。
もし当たってるならタツキ先生はかなりのリアリストですね。
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