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【「普通がいい」という病】
第5章 精神の成熟段階についてざっくりまとめ 続きから
●駱駝・獅子・小児
ニーチェの「ツァラトゥストラ」に駱駝・獅子・小児という比喩を使って、人間の変化成熟のプロセスが表されている

1.駱駝(らくだ)
駱駝は従順さ、忍耐、努力、勤勉さなどの象徴
絶対者の象徴でもある龍という存在に対して、色々な重荷を運ぶ駱駝のように跪き、文句も言わずただただ龍に対して盲従する

2.獅子
ある時、駱駝が自分が窮屈であることに気づき、なぜこんな目に遭わされているのだと怒り、絶対者である龍を倒してしまう。その時に自分の場所や主体性を獲得していく。この時に獅子は「われは欲す」という言葉を使う。「われ」という言葉を出したところからも1人称の自分が誕生する。

3.小児
このようにして「われ」を獲得した獅子はそこで終わるのではなく、次に小児に変化する。小児が出す言葉は「然り(しかり)」
「然り」とは「その通り」「すべてはあるがままに」という意味
小児は何をするかというと創造的な”遊び”に没頭する。自由を獲得するために1度獅子になるが、その「われ」は消えて「あるがまま」の小児になり、純粋無垢で無心に創造的な遊びに没入していく。それがニーチェによる人間の究極の姿だということを説いた。

精神医療のクライアントは駱駝↔︎獅子を行ったり来たりしており、どの状態であるかを見極めることが必要であり、「怒る」ことが必ずしも悪いことではないことをセラピスト側は理解しておかなければならない。

●小さな「怒り」から大きな「怒り」へ
大きな「怒り」というのは社会的、歴史的、宗教的、哲学的、芸術的・文学的視点など多角的な視点を生み出し、真の知性を呼び覚ましてくれる。大きな「怒り」というのはそれ自体クリエイティブであり、生きることに新たな指針を与えてくれる。自分というものを超えて、これを果たすために生まれてきたのかという天命のようなもの知らしめてくれる。
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