というのは、あがないのみわざをとおして、母からくる人間性を、すでに脱ぎ捨てられ、おん父からの人間性を身につけられたからです。だからこそ、主の人間性は神性を帯び、そのうちでは、神が人にましまし、神人にましますということです。