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む

今日5人もいるしうち1番乗りやから暇なら早上がりうちやな^_^ほんまに暇であって^_^(年末だからほぼない)(仕事納め後だからワンチャンある)
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ほのーん

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64タイプのやつやったよ!!!
どーもチーターです
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たかぼぉー🏍️

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#トレーラー
#ひとりごとのようなもの

急遽、今日で仕事納め

始まりは4日の昼から😄
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ゆう(♂)

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ボーナスのコメントが沢山飛んでくる。私も有難い事に会社から頂戴したがプチ贅沢のランチ1回で自分の分の贅沢は終わり🙂
年末の掃除をして仕事を納めてさぁ帰省だ
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ぎが

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今年が終わるんか
早すぎんよ...
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瑣末

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幸福とは 思考メモ

前提、幸福そのものは認知の外側に存在する。
ただ、その幸福を実感する為には認知が不可欠である。
そして、その認知を形成する上で不可欠な物が「比較・差異」。

人々が幸福を認知するとき、必ず比較・差異が存在する。

1.外的環境と比較
周囲の環境や、一般的な絶対的幸福のような基準と比較し、自己の幸福を認知する。

2.内的環境と比較
自己の絶対的幸福のような基準と比較し、自己の幸福を認知する。

3.変化・対照による比較
自己の感情や、物質・環境の変化・対照性を比較し、自己の幸福を認知する。


【1・2 】絶対的幸福とは存在するのか。
絶対的幸福の定義を「幸福そのもの」と定義するなら存在する。
相対的の対として定義するなら、世の中には絶対的幸福モドキのようなものは存在する。が、それらも比較や相対から編み出された絶対的基準でしかない。比較の歴史の上に立った「絶対"らしさ"」とも言える。

【3】変化・対照による比較。
まず例を出すと、
日差しの暖かさ ⇔ 寒さや日差しの無い時間
誰かとの静かな時間 ⇔ 一人の時間/騒がしい時間
自然な満足 ⇔ 欠乏や不全感

比較という言葉を使うことで、意識的に行っているイメージが持つかもしれないが、無意識化でも人間は比較を行っている。

比較という言葉に違和感があるのなら「対照性」と現す方が分かりやすいかもしれない。
意識的な比較ではなく、状態の差異によって浮かび上がる感覚。



第一に「苦」を肯定しているわけではない。

幸福の実感とは変化の波の推移のことを指す。
その波の開始地点は何処であろうと、その値がプラス側へ推移することを幸福と実感する。

つまりは、
「マイナス値」から「マイナス値」→苦の軽減
「プラス値」から「プラス値」→幸福の増加
も幸福の実感として成立する。
波の推移の大小、値は然程重要ではなく、数値の推移自体に幸福の実感は存在する。

激しい波でなくとも穏やかな波が存在すれば、幸福は実感できる。波のない完全平衡状態=無とも言えるだろう。
哲学哲学
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ゆゆたん

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ほんとに年末って嫌
あー嫌!嫌嫌嫌嫌嫌!!!!
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