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ほのーん
どーもチーターです




たかぼぉー🏍️
#ひとりごとのようなもの
急遽、今日で仕事納め
始まりは4日の昼から😄

ゆう(♂)
年末の掃除をして仕事を納めてさぁ帰省だ


ぎが
早すぎんよ...

瑣末
前提、幸福そのものは認知の外側に存在する。
ただ、その幸福を実感する為には認知が不可欠である。
そして、その認知を形成する上で不可欠な物が「比較・差異」。
人々が幸福を認知するとき、必ず比較・差異が存在する。
1.外的環境と比較
周囲の環境や、一般的な絶対的幸福のような基準と比較し、自己の幸福を認知する。
2.内的環境と比較
自己の絶対的幸福のような基準と比較し、自己の幸福を認知する。
3.変化・対照による比較
自己の感情や、物質・環境の変化・対照性を比較し、自己の幸福を認知する。
【1・2 】絶対的幸福とは存在するのか。
絶対的幸福の定義を「幸福そのもの」と定義するなら存在する。
相対的の対として定義するなら、世の中には絶対的幸福モドキのようなものは存在する。が、それらも比較や相対から編み出された絶対的基準でしかない。比較の歴史の上に立った「絶対"らしさ"」とも言える。
【3】変化・対照による比較。
まず例を出すと、
日差しの暖かさ ⇔ 寒さや日差しの無い時間
誰かとの静かな時間 ⇔ 一人の時間/騒がしい時間
自然な満足 ⇔ 欠乏や不全感
比較という言葉を使うことで、意識的に行っているイメージが持つかもしれないが、無意識化でも人間は比較を行っている。
比較という言葉に違和感があるのなら「対照性」と現す方が分かりやすいかもしれない。
意識的な比較ではなく、状態の差異によって浮かび上がる感覚。
第一に「苦」を肯定しているわけではない。
幸福の実感とは変化の波の推移のことを指す。
その波の開始地点は何処であろうと、その値がプラス側へ推移することを幸福と実感する。
つまりは、
「マイナス値」から「マイナス値」→苦の軽減
「プラス値」から「プラス値」→幸福の増加
も幸福の実感として成立する。
波の推移の大小、値は然程重要ではなく、数値の推移自体に幸福の実感は存在する。
激しい波でなくとも穏やかな波が存在すれば、幸福は実感できる。波のない完全平衡状態=無とも言えるだろう。

ゆゆたん
あー嫌!嫌嫌嫌嫌嫌!!!!
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