投稿
Rin
なーんも考えてないのか何か意図があったのか。
推しの人生ですし推しの考えることは推しのもの。
オタクなんて勝手にご一緒してる(と思ってる)だけだからいいっちゃいいんだけど。
ちょっとドキっとはしたよね。
まじか。って。
10年以上相当額・時間・労力を使い推し続けた人が(今年一年ちょくちょくあったといえど)漢字1文字で拒否レベルまでいってるの結構すごいよね。
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くゆひち
風邪っ気抜けんくてマジ声出ねぇ.˚‧º·(°இωஇ°)‧º·˚.
夜勤明けの申し送りなんてさ、プロレスラーの本間朋晃バリに誰も聞き取れねーって(^◇^;)
とりあえずこけしって叫べば治るんか?
ハァ…さて、帰って寝よ🚗³₃

声が枯れるまで
yu

sun☀️
分からないだろう。
利用するとかされるとか、
私が経験してきたのは
そんなものじゃない。
確かに彼女たちの無知さや幼さゆえに
くらった精神攻撃は山ほどある。
でも、うちの家族には
中途半端に愛があった。
だからこそ苦しいのだ。
もちろん条件付きのものも含まれる
のかもしれないが。
人生を通して情が湧いてしまうバカ犬を
他人からぶち殺せと言われて
殺せる人がいるものか。
目を見れば尻尾をぶんぶん振って
愛されようとしてくるバカ犬。
人のメンタルを削っていることに
まったく気付いていないバカ犬。
自分ひとりでは何もできないとばかりに
助けてもらう前提で
構ってもらいにばかりくるバカ犬。
でも、そんなバカ犬たちと私は
正月には餅を食べ、
節分には豆を撒き、
夏には地元の花火大会に行った。
秋には月見団子を食べ、
冬には柚子風呂に入り、
クリスマスも
みんなのお誕生日も
年末年始も一緒にお祝いをした。
どれも私にとっては
大切な思い出。
そう。
やっぱりどれだけ傷つけられても
私は家族のことが大好きなのだ。
これは美談にして蓋をしてるとか
そういう話じゃなくて、
表層は家族が大好きな私(蓋、鈍感)。
第二層は家族を大嫌いな私(傷のぶり返し)。
そのまた下の第三層は
やっぱり家族が大好きな私(無条件の愛)
がいるということ。
ミルフィーユのように重なっているのだ。
だからもし第四層目があったら
より激しく嫌いになるのかもしれないし、
その先の第五層目は
“そういう人たち“という
とてもニュートラルな認識にも
なっているのかもしれない。
まだこれは体感してみないと
分からないから予測だけどね。
でも思えば彼の小説の中にも
心の揺らぎが一瞬垣間見えた
描写があった。
それは主人公の女性が別れ際に
大嫌いな母親と同じような言動をし、
最大の怒りと悲しみが湧き上がるシーン。
向き合わないなら捨てるだけ。
なのに涙が出そうになる、と
書いていた。
その涙は、
その涙はさ、
僕を見捨てないでっていう
涙なんじゃないだろうか。
本当は見捨てたいんじゃなくて
もう見捨てられたくないから見捨てるしか
なかった。
そういうことなんじゃないか。
そして根っこはきっと私も同じなのだ。
母の力になりたかったのは
母から見捨てられたくなかったから。
それを私の場合は
“母を見捨てない”という方法で
自分が見捨てられないようにした。
私たちはアプローチが違っただけで
根っこの傷は一緒なんだよ。
だからきっと巡り会ったんだ。
しき
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がんで

mo0513(も
ツリ目じゃなくて

よした

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今日は久々の土曜出勤
喉の痛みは悪化してないものの
まだ少しのこっているので
体調に気を付けて行ってきます

きょう
#vibes813
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