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まぴ
誰か教えて[おねがい][大泣き]
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きの
会話に相談事について考えてみました。
会話はただすれば良いだけでは無い。
会話って、人にとって
とても大事で大切なことは知っています。
だけど、それだけではないと感じました。
会話は、
ただ言葉をやり取りすることじゃない。し
そんな単純な事ではない。と
そこには相手に対して、
「like、好きだな」とか
「もっと知りたいな」とか
そんな気持ちがあって、
「何とかしてあげたい」
「力になれたら」
「手を差し伸べてあげたいなぁー」
という相手を想うキモチがあって、
はじめて、相手の話しをしっかりと“聴く”という行為になる気がします。
人は、
誰にでも自分の本音の話しはしない。
本当の相談をする、話したい人は、
尊敬している人、認めている人だから、
この人なら大丈夫だ。と思えた人にだけに
心の奥の話をしようとするのだと思います。
「話しても大丈夫」そう心が感じたときに、
やっと本当の話しが口から出るのだと思います。
そのとき大切なのは、
解決することでも、
正しい言葉を返す。や、
求めているわけではなく、
お互いの“心”に
寄り添おうとする姿勢と、
そこに感じた言葉に自然と動く
“気持ち”なのだと思います。
言った言われた言葉に単語よりも、
言葉にならなかった部分、
うまく説明できなかった
言葉に想いが、
「分かろうとしてもらえた」と
感じたときに、初めて
私は「認めてもらえた」
と感じるのだと思います。
そして、そのあとで、
自分の心と気持ちにもう一度、
静かに問いかける事で、
私は、
ちゃんと寄り添って貰えたかな?
想い合ってもらえたかな?
など、ココロに聞いた時
心だけ、気持ちだけ、じゃなくて
その両方が自分の中で感じた時、
人はようやく納得できるのだと思います。
その納得が、
ふぅーと、すぅーと心を軽くして、
安心感や癒しにつながっていき、
満足感になって、達成したキモチになり、
全てが満たされた。と感じる。
そこまで行った時にやっと
この人と一緒に居て良かったなぁーとか
会話をして良かったなぁーと思えるのかな

きゃべつ

としゆき
回答数 39>>
つまり、哲学の分野としての倫理学や社会学を議論する上では基礎になり得ますが、
それ以外の分野、例えば論理学の哲学や科学哲学といった、主体概念や自由意志が否定され介入する余地の含まれない議論領域においては、基礎には置かれることはないと考えられます。
つまり結論は、質問文を額面通りに受け止め解釈するならば、基礎ではないと判断できます。

むぎ
24日終業式なので給食ありません、弁当です
弁当が要ります、忘れずに作れ
わたしより

かな
#高校3年生 #化学基礎



ゆあ
勉強よりも辛いって、、
#受験生

らい

ロボット
遠くにいても心が繋がってる関係ってありえるかな?
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