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そら
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肉体は他人
#肉体は他人 #コスモスの法則
#パラレボ
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まおん*

れんこん

ON
マジで人間不信たすけて

マキ

紫苑/しおん🐈⬛
回答数 40>>
正しい/間違い。
できている人/できていない自分。
こうした二項対立は、判断を速くし、短い安心感を与える。その一方で、思考の幅を狭め、自分自身の感覚を置き去りにする。
さらに「普通」「一般論」「あるべき姿」といった他人基準が重なると、人は自分の人生を、自分以外の物差しで測り始める。
ただし、比較そのものが悪なのではない。人が比較をするのは、多くの場合「もっと善く生きたい」という願いからだ。自分の位置を確かめ、前に進んでいると感じたい。その衝動は、ごく自然で人間的である。
ダイナマイトを開発したノーベルも、破壊を目的としていたわけではない。トンネル掘削を楽にしたいという願いがあった。価値を歪めたのは思考/道具ではなく、それをどう使うかという人の心だった。比較も同じで、自己確認の為に使われる限り、それは人生を支える道具になり得る。
問題が生じるのは、比較を用いて他人を貶めたり、支配しようとしたときだ。その瞬間、比較は安心を与える道具から、価値を歪める凶器へと変わる。そのリスクがあるから、人は「比較するな」と言葉を強めて止めるのだろう。
他人基準の二項対立を捨てれた時、
人は少しだけ自分に優しくなれる。
勝っているか負けているかではなく、
納得できているか。
正しいか間違いかではなく、
満たされているか。
コーヒーを味わう時、「あいつよりも俺の方が美味しいはずだ」と思って飲む人は少ない。多くの場合、「美味しいね」と感じられれば、それで十分だ。人生も同じで、比べて勝つ幸福と、ただ味わう幸福は別物である。
比較をやめることが目的なのではない。比較に縛られなくても生きられる瞬間を、少しずつ増やしていくこと。その先に、人は「正しい人」ではなく、自分の人生を生きる人として立っていられる。


𝗸𝘆𝗼
回答数 31>>

あ
叱責してきたりこうじゃん、で押してこられても傷ついて落ち込んだ気持ちは沈み続けるだけ
他人なら良いけど、それが一生共に歩む人となると
不安しか増えない
痩せる

Thomson
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