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しんま
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ありす
あぁ、今日は日曜だったのか、、、
帰ってきて旦那がいて実感。
いつもの如く、台所も洗濯物も手つけずそのまま( ˙-˙ )
そして、「お前も帰ってきたし俺も寝るかな〜」との事。アルトくんの相手をしていたと言いたいらしい。
お酒飲んでたし、ハイハイ寝てください( ˙-˙ )
私も ご飯食べて寝たら深い眠りに落ちた。
起きたら「お前さー6時間は寝てたんじゃない?」って旦那。
お疲れ様!だけでいいのよ( º言º)
ご飯作ってくれるでもなく片付けするわけでもなく。
やっと頭が回り始めたので、黙々と洗濯機回して台所片付けて夕ご飯作ってる間にまた旦那は自分の部屋に行って寝たのか( ゚∀ ゚)ハッ
とりあえず、娘はバイトだし、私は食べたかった無印のグリーンカレー温めて食べました(ご飯多め[泣き笑い])
#愚痴言ってごめんね💦


さく
好きに遊べる、揉めない、ストレスなし
それが一番
言い方悪いけど都合のいい関係で今は充分
めんどくさいのは懲り懲り!!

千夜行(チョコ)
昔ね、わたしが高校生の頃だったから◯十年前になるんですけど、DyDoさんから、このデミタスTEAが出たことあって、
実はわたしミルクティー苦手だったんですけど、このデミタスTEAだけはめちゃめちゃ美味しくて、ホントアホみたいに飲んでいたんですよ(*´艸`*)!
ミルクも紅茶も煮込みまくった濃厚さで、ポタージュ飲んでるみたいなトロトロしたホントに濃いミルクティーだったんですよね✨️
缶も、缶コーヒーの缶より更にひと回り小さいんですけど、それでも充分な飲み応えがあって、好きだったんです(*´ω`*)♪
でもいつの間にか終売しちゃって、それから、似たような商品見つけたり、紅茶に拘っているお店でミルクティー頼んだりした事もありましたが、同じレベルの味には出会ったことがありませんでした(。ŏ﹏ŏ)
それが、今日、まさかの復活!?って思って、一人でめっちゃ興奮しながら買ってみたんですが、
全然違いました(;´∀`)。。
ンマー。美味しくないわけじゃないんですけど、あの、紅茶とミルクをトロトロに煮込んだみたいなあれとは程遠いかったです(;´∀`)
どなたか、
真っ白い、缶コーヒーよりも小さい缶で売っていたTEA、ってでっかく書いてあるミルクティー、覚えてる方いらっしゃいませんか〜(笑)?
#暮らしを楽しむ



Gvayarums
大切な〜大切な〜お友達に〜逢えた〜💓
リアル 箱 🎁 開け〜 🙌 ✨👏✨👏✨👏✨
お友達が、一つ一つ〜 手作り下さった〜 🙇♀️ 💓
今夜は、これで、失礼します〜✨🙏✨
(*˘︶˘*)オヤスミナサイ~..✨✨ いい夢を〜✨
制作 Mrs M
#おやすみグラ友さん
#大切な友達
#ありがとう
#写真日記


Rico(´エ`๑)
もうクリスマスくるじゃーん🎅🏻
でもきょう100均入ってすぐはお正月コーナーになってた[ほっとする]
クリスマスコーナーもあったけど

🎄冬✨クリスマスを楽しもう🎄
参加

Sana

花
一緒に暮らすのが嫌じゃないくらい仲が良いなら、あとは親戚問題を解決できるんなら全然アリだよなあ
まあその親戚問題が最難関なんだけども

まり
(たまにくる定期メンタル)
飽き性でやんなっちゃうぜ( ˙³˙ )
色んなゲームに手を出すものの、どれもあんまり長続きしないのよね。
そもそも自分がどんなジャンルのものが好きか、とか。
とりあえず『今』気が向くものをプレイするわけだけど。

うざみ
あらすじ・感想↓
1987年大統領の独裁政権だった韓国。そんな中、何も罪もない大学生が警察によって殺される事件が起きる。警察は心臓発作と言ってすぐに火葬するように言うが、検死にかけてその真実を突き止めようと検察やマスコミが動き出すが…
☆実話に基づいたフィクションです。
韓国にも大統領の独裁政権があったとは知りませんでした。私にとって歴史の教科書が映画になりつつあります…1987年に学生たちの民主主義の暴動は凄かったです!ちょっとでも抵抗したら北朝鮮のスパイとして警察に目をつけられたりしてとにかくその頃の大統領が独裁政権だったようです。それは学生たちや民主主義の人達は反動で暴動を起こしてしまいます。民衆が初めて勝ち取ったという歴史的な年になった話だと思いました。
その時期の参考に「タクシー運転手 約束は海を越えて」も観てみようかと思いました!
U-NEXT見放題
#ハ・ジョンウ #ユ・ヘジン #カン・ドンウォン
#キム・ユンソク #U-NEXT



이등병의 편지
える
意識も気持ちも内臓も元気だけど、一昨年階段から落ちて脚を骨折してからあまり出歩けなくなって、最近はトイレとお風呂以外はほぼベッドの上で過ごす生活だった。
おばばは私より背が高い(私156cm)し、私達の家は階段坂の上、それもおばばの家は造りが特殊なので本当に寝たきりになってしまったら救急搬送がとても困難になる、そんなこんなで搬送が決まったそう。
組長である私の元に話が来てすぐおばばの家に駆け込んだ。
おばばはこの家で最期を迎えたいってずっと言ってたから、おばばの本望ではないこの決定におばばがとても辛い思いをしているんじゃないかという気持ちと、本当に大好きなおばばだったから私が淋しくてたまらないといった気持ちが溢れて、私は子どもみたいに声を出して号泣してしまった。自分の母が亡くなった時より泣いた。
おばばは観念した様子で落ち着いていたけど、私があまりにも泣くものだからつられて泣いた。
二人で大泣きした後おばばは“次ここへ帰って来る時は小さな箱に入ってじゃね”と笑った。
私は“うらぁ!身軽になりよる!私ひとりでも連れて帰れるいね〜”と応えて二人で笑った。
子ども達とテレビ見せて貰ったり学校の行事の動画を見せに行ったり、おかずや魚や頂き物のお裾分けを差し入れしたり、ちょこちょこ遊びに行っていた。
温厚でユーモアあって気兼ねの要らない人で、本当に大好きだったおばば。
特に離婚後はおばばの存在にどれだけ助けられたことだろう。
ありがとうを伝えても伝えても伝えきれないくらいの気持ちだ。
私の心はまだ涙雨だけど、
明日海は凪でありますように。
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