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たっくん

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「如来がいかなる言葉を語るとしても、それはすべて真実である。
衆生は、さまざまな行ないをなし、さまざまな願望を持ち、誤った考えによって行動する。
その衆生に善い果報をもたらす立派な行ないを生じさせるために、如来は種々の法門をさまざまに説くのである。」

人は生きるとか死ぬとかではない。
仏教では、不断不常の中道を説くが、生命とは、生きているとか死んでいるとか言った「状態」の「変化」のみに定義されるものではないし、有るわけでも無いわけでもない。
死んだ人が帰ってくるわけでも帰ってこないわけでもないし、会えるわけでもないし会えないわけでもない。
復活でもなければ無でもない。
全ては条件によって再び状態が変化するに過ぎない。

さて、仏にとってみればこの世界に生きる全ての者たちは偏狭で誤った見解を以て自分の意思を決定している。
それは単なる経験則に基づき、実相を以て判断しない。
経験則の限界点は、その経験がその人にだけ当てはまる場合があるということである。

世界は連動していて一人としてその循環の中に居ないものはいない。
ならば、その循環=構造的使命の自覚=ミクロ世界の生き物たちが行っている元初の自我=真我を自覚するべきである。
しかし私は、自我を否定する必要もないと思っている。
真我の立場から自我を用いていくことが大切である。煩悩即菩提・生死即涅槃ということである。
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