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民族だと言われています
400種類もの色すべてに
名前が付いているというだけで
日本人の色に対する愛情の深さ
美意識の高さを
窺い知ることができますよね
ところが二千年以上もの間
色を愛した歴史を持つ日本人ですが
ただ近代史の中で一時期 日本中から
色が奪われた時代がありました
戦争の時代です
あのとき日本中がドブネズミ色
一色になりました
ある時 学徒動員させられた
女学生たちがいました
彼女たちは日の丸の鉢巻きをし
上はセーラー服で下はモンペでした
一人の女学生が軍人の目に留まりました
その女学生のセーラー服から
ちょっとだけ色のついた
肌着がはみ出ていたのです
母親が残り毛糸を集めて編んだもので
赤や青など様々な色が混じっていました
そんな軟弱な格好をしているとは
けしからんと その場で肌着を脱がされ
ハサミで切り裂かれました
そして女学生は
ボロボロになるまで殴られたのです
一週間後その子は亡くなったそうです
その場に一人の少年がいました
少年は思いました
"あの子が一体何をしたというのか
母親が愛情込めて編んでくれた毛糸の
肌着を着て それがセーラー服から
ちらっとはみ出ていただけじゃないか"
少年は悔しくて悔しくて
仕方がなかったのでした
戦後少年は色を葬った時代に
復讐するかのように
派手な色の服を身にまといました
彼はきらびやかなファッションで
フランスのシャンソンを歌ったのです
シャンソン歌手 美輪明宏
彼がまだ17歳の時の話です
少年時代の体験 戦争の悲惨さ
戦後復興の陰にある差別
世の中の不条理を訴える歌を
作詞作曲して歌うようになりますが
それが反社会的という理由で
芸能界から追放されます
特に小学校時代 建設現場で働く
友だちの母親の姿が忘れられず
それを歌にした"ヨイトマケの唄"は
貧しい人を差別する歌だと
知識人たちから難癖をつけられ
テレビ局は放送禁止歌にしました
美輪さんはテレビ番組で
こんなことを言ってました
"思いやりはどこから生まれるか
それは想像力です
想像力はどうしたら育つか
詩や俳句や文学
そういう文化に親しむことです"と
やがてヨイトマケの唄はいろんな人が
カバーして歌われるようになり
正式に美輪さんが出演して
テレビで歌ったのは2012年の紅白
77歳にして初出場でした
#美輪明宏
#日本講演新聞

コメント
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✨はっさく✨
美輪明宏の話だったんですね。 昔の日本はひどいな… 胸が痛い
ゆき
知らなかったです。 良いお話をありがとうございました。
たにし
美輪さんの人生観はとても好きです。 ご本人がそれだけ様々なご経験をされたからだと思います。 経験値が上から下まで幅広く、本当に雲の上の人です。