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からくり

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【弱肉強食の論理ではいけない理由】

加害者側に立つ人はよく、
「そんなことで傷つくのは弱いからだ」
「もっと強くなればいい」
と言います。

しかし、構造的に見れば、強さや弱さは本質ではありません。
人間関係の基本は「一対一」です。
「いや、人間関係は集団で動くものだ」と思う人もいるでしょう。
ですが、集団も一対一の積み重ねで成立しています。
会議もSNSも、結局は誰かの言葉と誰かの受け取り手という接点で成り立っています。
その接点を無視して集団だけで語れば、責任はすぐに曖昧になります。

一人を自分のエゴで排除したなら、同じ構造で自分が千人から排除されても文句は言えません。
数の多い少ないは形の違いであり、行為そのものは同じだからです。

だからこそ、最初のきっかけとなるいじめやハラスメントは絶対にしてはいけません。
この最初の一手が、後の批判や非難、排除の連鎖を生む“発火点”になるからです。
「最初が誰かなんて分からない場合もある」と言う人もいます。
だからこそ、最初の一手を踏まないことが最大の予防策なのです。

「弱い者は淘汰される。強い立場を取れるときに取るのは当然だ」という声もあります。
しかし、その原理を認めるなら、自分が死に絶えそうなとき、恨みの末に没落したとき、
あるいは身近な人が危険な目に遭ったときも、感情的にならず受け入れなければなりません。
それこそが弱肉強食だからです。
それができないなら、その論理は都合の良い選択にすぎません。

私の考えはシンプルです。
非難されたくなければ非難しない。排除されたくなければ排除しない。
もちろん、「全く非難しないと規律が保てない」という意見もあるでしょう。
しかし、感情的・恣意的な非難ではなく、明確な基準と透明性のあるプロセスで行うべきです。
それは制裁ではなく是正のための行為であるべきです。

「人間は感情の生き物だから、感情的になるなは非現実的だ」という指摘もあります。
確かに感情をゼロにすることは不可能です。
しかし、感情に任せて即行動するかどうかは選べます。
行動を判断する一瞬を置くだけでも、因果の連鎖は断ち切れます。

「指導だった」「教育だった」と言い張っても、相手や周囲から排除と感じられるなら、それは今の時代にそぐわない行為です。
昔の人は、この因果の返りを因果応報と呼びました。
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