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てっちゃん2
草の実堂編集部
清朝最大の流刑地「寧古塔」とは
寧古塔(ねいことう/ニングタ)とは、清朝時代における代表的な流刑地の一つであり、当時の中国で「この世の地獄」とまで恐れられた土地である。
その名前から、荘厳な塔や建造物を想像する者もいるかもしれないが、実際にはそのような塔は存在しない。
地名の由来は満洲語にあり、「寧古(ninggun)」が数字の「六」、「塔(-ta)」が助数詞の「〜個」を意味する。
つまり、寧古塔とは「六つのもの」あるいは「六人の兄弟」を指す言葉であるとされている。
この命名には複数の説があるが、最も知られているのは、清の実質的な初代皇帝とされるヌルハチの曾祖父がこの地に住み、六人の息子に土地を分け与えた、という伝承に基づくものである。
寧古塔の位置は、現在の中国・黒竜江省東部からロシアの沿海地方にかけての広大な地域に相当する。
かつては「吉林将軍」管轄の領域とされており、清朝初期には辺境防衛の拠点として重要な役割を果たしていた。
※吉林将軍とは、清朝が東北辺境を統治するために設置した軍政官職。
後に軍政の中心が他所へ移され、この土地は徐々に重要性が失われていった。
そして17世紀半ば以降、清朝はこの地を重罪人の流刑先として活用し始める。
こうして寧古塔は、辺境の一拠点から、凄惨な記憶とともに語られる流刑地へと姿を変えていくことになる。
半数以上が到達前に死亡 ~苛酷すぎた1500キロの流配
寧古塔に流されるとは、ただ遠くに送られるというだけのことではない。
その道のり自体が、命を落としかねないほど過酷な刑だった。
清代の北京(京師)から寧古塔までは、直線距離でもおよそ1500キロに及ぶ。
その行程は現代のように鉄道や道路が整備されたものではなく、基本的に徒歩による移動であった。
流刑を宣告された者たちは、鉄の枷を首にかけられ、両足には鎖を巻かれた状態で連行される。
護送を担当する役人たちは、定められた期日内に目的地へ到着させなければならないため、天候に関係なく歩みを進めた。
囚人たちは、酷暑や暴風雪の中でも歩みを止めることなく、過酷な移動を強いられたのである。
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約束の
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#防災士ガッキーのワンアクション

つーさ

とむち
どうなったんだいバンバン

或るま

かとぅ

みゆ@相
まあ、図書館が近いから直接行ってもいいんだけど、そこに置いてない本もあるし。
ちょっと登録してこよう✨

野。
元気だったらワンチャン、ミュもいいなーと夢見たけど、若干体力ないので大人しくしますー、行かれる皆様は良い観劇を!

夜空(ヨ
#LILLEAGUE #LILファンクラブ #ネオエグアリーナライブ

@くま

ごきげ
(今朝、登校しながら娘としりとりの内容。)
太鼓をたたく じんぐうじゆうた
卓球をする きしゆうた
玉入れをする ひらのしょう
うどんを食べる きしゆうた
助けを呼ぶ じんぐうじゆうた
田んぼで仕事をする きしゆうた
たまに怒る ひらのしょう
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