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からくり

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【語られなかった愛のために──“美談”が切り捨てるもの】

「私は怖がりでしたが、彼は待ってくれました。だから心を開けました。そういう人に出会えるといいですね。」

こういったポストを時々見かける。
一見すると感動的な回復の物語。でも私はそこに強い違和感を覚える。

なぜなら、これは“再現できない幸運”を、まるで誰もが手に入れられるかのように語っているからだ。
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人には「変わる自由」がある。
でも、“変わるまで待ってくれる人に出会えるか”は、完全に運だ。

私だって、拒絶された相手を半年待ったこともあれば、2年と待ったこともある。
けれど結果は捨てられるだけだった。

それでも私が語られなかったのは、
「報われなかったから」ではなく、
「目に見える愛を与えなかったから」かもしれない。
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ポストの主が語る「待ってくれた人」は、本当にたった一人だったのか?
もしかしたら、もっと深く、もっと長く、触れもせずに愛していた誰かがいたのではないか?

──そう、「深く愛しすぎて何もできなかった人」だ。

愛は、叫ぶことだけではない。
触れないこと、黙ること、奪わないこともまた愛だ。

だがこの世界は、そんな“語られない愛”を無視し、美談だけを拡散する。
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私は言いたい。
「幸運に恵まれた者は、その幸運を教訓のように語るべきではない」と。

それを聞いた誰かに対策のしようがないなら、それは教訓ではなく、優越の押し付けでしかない。
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そして私は今、問い直したい。
「深く深く愛しすぎ、人から見つけてもらえなかった人間は、どうすれば救われるのか?」

その答えは、おそらくこうだ。
──自分の愛に誇りを持ち、その静かさを語ること。
──語られなかった他者の愛を、自分が拾うこと。
──自分の痛みを、他者の居場所に変えること。

見つけてもらえなかった者たちが、
互いに灯を掲げ合うような世界を、私は信じたい。
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語られなかった愛にこそ、誠実の証明がある。
それを語り、遺していくために、私は今日もここにいる。
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