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みさ
それは、私が仕事というひとつの概念に縛られてしまっていたこと
そして私は何者でもないことを。
ある程度の地位、周りからの高評価
会社を引っ張っていく柱のひとりとしての
上司からの期待の眼差し
何かあった時私を頼ってくれる後輩
専門卒でありながらいい待遇を受けていた事
そんなものを貰っていても
私にはどこか物足りなさを感じてしまった
まだまだ何か自分に足りなくて。
どこか周りと浮いていて。
けれど、本当に私が知らなくちゃいけなかったのはすごく単純だった。
それは、私が何者でもないんだってこと。
人は自分が何者でもないことを恐れる傾向にあると言われているけれど、私にとってはそれがとてつもなく嬉しかった。
この先広がる可能性に
何者でもないからこそ何者にでもなれる事実に。
いつかまた新しい誰かと出会うために
私は誰かにとってほんの少しでもいいから
この世界の光であれる存在になりたい
だから私は今日も小説を書くの。
私が見てきたこの世界のこと
見えている景色のこと
そしてその先にあるモノが何なのか。
私は伝えたい。
色々なものに取り疲れ(とりつかれ)、何かを諦め、怖がる人々に。
私は届けたい。
一人の意識の変化がどれだけ大きな決断で
周りにとっての大きな変化になるのかということを。
これは大袈裟なんかじゃない。
人が決断する事はこの世界をもだって変えるんだ。
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ミナ@取

ざぶと

かづき
ララーシシシラシドレミの由来は?
ララーシシシラシドレミは、音楽の音階を表す言葉で、特に「ドレミファソラシド」の音階を基にしています。このフレーズは、音楽教育や子供向けの歌に使われることが多く、音楽の基礎を学ぶための楽しい方法として広まっています。
由来:
「ララーシシシラシドレミ」は、音楽の音階を覚えるためのリズミカルなフレーズです。
音楽理論において、音階は「ドレミファソラシド」として知られ、各音に特定の音名が付けられています。
このフレーズは、特に日本の音楽教育において、子供たちが音楽を学ぶ際に使われることが多いです。
文化的背景:
日本の音楽教育では、音階を覚えるための歌やフレーズが多く存在し、子供たちが楽しく学べるよう工夫されています。
「ララーシシシラシドレミ」は、音楽の楽しさを伝えるための一つの手段として、広く親しまれています。
このように、ララーシシシラシドレミは、音楽の基礎を学ぶための楽しいフレーズとして、教育現場で重要な役割を果たしています。

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