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GALVON
回答数 41>>
しかし、順を追えば、嫌いになるかもしれない相手との子供をもうけたとも言えます。その当時は幸せを追い、子供を授かる事に何の罪もありません。時がたち。すれ違いやら、何やらで離婚となったのです。であるなら、その考え方ですと、子供をもうける資格が自分には無かったという事になります。半分は相手であり、半分は自分で子供は出来ています。子供は生まれる先を選ぶ事はできません。選んだのはその夫婦です。それを選んだ片方に、そんな事を言われる筋合いは無く、唯の責任逃れでしか無くなります。
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GALVON 投稿者
宗教的な心の持ちようとしては、そうなのかもしれません。 極現実的に見れば、合意し、子供を授かり、合意を解消しなければならない夫婦です。 時の流れは不可逆的ですから、問題を起こした当事者が、それにより損害を被る謂わば被害者、この場合、子供や孫を失うかもしれない自分や相手の親、子供が大きければその友達等の痛手を最小限にするよう努力しなければいけないはずですよね。
夢和 叶
最近「子供が親を選んで滑り台からやってくる」的な話がありますが、ある意味親を諌める意味合いもあるのかもしれませんね…
Shota
とても深くて真っ直ぐな言葉ですね…。読んでいて胸が熱くなりました。 子どもは確かに自分で生まれる場所を選べない。その分、大人がどんなふうに向き合うかにすごく重みがあるんですよね。 責任って簡単に語られがちだけど、本当は長くて難しい道のりなのかもしれません。 もしよかったら、そう感じたきっかけとか、もう少しお話聞かせてもらえたら嬉しいです