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太郎さん
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
まず「古池や」は日本の俳句で「句切れ」と言う。「句切れ」によって後の句「蛙飛び込む水の音」とシーンが変わる。ここではシーンが「古池」という焦点をはっきりさせている。「古池」というと何かどろどろとした碧を感じさせる。いかにも暑そうなムッとする感じが伝わってくる。「蛙」は夏の季語である。日本では単数の「蛙」、すなわち一匹の「蛙」を思い浮かべる。何故そうなのかは「水の音」という「清涼感」をここに見出すからである。「蛙」が複数であればむしろ暑苦しいと感じまいか。またこの句の画期的なところは「水の音」という「音」を言い表したところにある。つまり「古池」という「暑さ」に「水の音」という「清涼感」を与えている。また、「古池」という「静」に「飛び込む」という「動」を置いたこと、「水の音」という「清涼感」が耳に残る。違う角度から見れば「視覚的」であり「音声的」でもある。さらに「古池」の「碧」と「蛙」の「緑」が一体化する瞬間でもある。卓抜した技巧である。さて芭蕉のこの句の技巧は技巧にしか過ぎない。芭蕉にはどのような心理過程があったのかを推察すると「対象を向うに見るのではなく対象を自らの心の中に置いている」と思われる。対立する「静」と「動」、「暑さ」と「涼しさ」をおそらく芭蕉は芭蕉の心の中で調和させているのである。芭蕉の心ばせである。「禅」や「粋」を感じさせる。

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