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太郎さん

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『フェルナンデス』をめぐり、石原吉郎をめぐるとき 2

石原はインタヴューにおいても対談においても、用心深いと言っていいほど正確に言葉を選んでいるのがよく判る。石原の「声となる均衡」への留意はこの詩集の表題作『斧の思想』に表れている。「およそこの森の/深みにあって/起こってはならぬ/なにものもないと」。
このことは「人間不信」に陥った石原の第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』、その巻頭の詩『位置』に「しずかな肩には/声だけがならぶのではない/声よりも近く/敵がならぶのだ」と明確に「敵」と書かれている。「勇敢な男たちが目指す位置は/その右でも おそらく/そのひだりでもない」と。ところで石原は何を「敵」と見做したのか。それは石原の外界の「敵」であり、同時に石原自身という「敵」である。石原にとって外界と内面は常に同じものであったのだ。再認しておきたい。石原の外側(そと)と内側(うち)とは常に一(いつ)なるものであったのだ。言われればなるほどと思われるかも知れない。しかし石原はこのことをみずからによく承知していたのである。カール・バルトの『ローマ書講解』(小川圭治・岩波哲男訳 平凡社ライブラリー)には「神の意志は、与えられた外的状況と内的状況との真実に実現した調和において、キリスト者に可能となった正しいことへの洞察によって知られる(一二・二)。瞬間のこの認識は、人間の願いの成就が考えられる唯一の道である」とある。石原が戦後の日本においても、「声となる均衡」にどれだけ注意を払っていたことか。
旧陸軍中野学校から諜報部員として旧ソ連シベリア抑留後、この国に帰還した石原の意識はみずからの境涯を『ドン・キホーテ』に擬(なぞら)えて二重に写したのと同様、この『フェルナンデス』でもまた、『贋作ドン・キホーテ』にみずからを擬えて二重に写しているのだ。
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