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マサヤス 龍之介
#神保町
☆『我が青春の神保町 .1』
TONYレコードは現在までに移転しまくって3番目の店舗である。レコード社の向かいマツモトキヨシの3階が現在地だが、嘗てはマツキヨ前の白山通りの斜向かいにあり、私が行きまくったのは主にその時代である。創始者の西島経雄さんが二階の店舗に居た。今はその地はてもみんになってしまっている。西島さんからは筆舌に尽くし難いほどの恩恵に預かり、そんな交流から現在の店主真尾さんとも仲良く交流させて頂いている。つっても、大阪に来て早5年、ほぼナシのつぶてだが💦
西島さんとは恩恵…という程のこともなくただ店と客と云うだけのものだったが、兎に角、私のトラッド好きはこの店で培われたものと言っても過言ではない。そしてモダンジャズは今は無き水道橋のROOTで培われたと言っていい。店主の大原さんは新宿コレクターズで岡郷三さんの下で働いてから独立。私はコレクターズ末期に常連になり、大原さんとはそこで知己を得たので水道橋に新店を出した時もささやかなお花を送ったものだ。そのくらい入り浸った。
西島さんは神保町界隈の各種中古レコ屋さんを私に勧めて下さりそのお陰で言われた所にはほぼほぼ通ったが、そのうちの2店舗だけ馴染めなかった。西島さんについては幾つかの文献で紹介されていたが、吉祥寺の老舗ジャズ喫茶メグを主宰していた寺島靖国氏はこのTONYレコードには最敬礼して入店する、と書いていた。『東京レコ屋ヒストリー』の若杉実氏はシビアなTONYレコードヒストリーを書いていた。取材を受けた現主宰者真尾さんは好印象とは言い難い、と仰っていた。西島さんは兎に角全ての20世紀芸術は1930年代までで終わっている、というのが持論でビング・クロスビーを皮切りにベニーグッドマン、バニーベリガンと言ったスイング時代のジャズが自家薬籠中であった。お陰で私の趣向もそっちに偏説してしまっている。私が30代の時にビックスバイダーベックとジャンゴ・ラインハルトの音楽をふんだんに使った洋画が公開されたので、ズブズブにハマりTONYさんで2人の海外盤を買いまくった。思えばいい時代だった。西島さんが私に紹介してくれた神保町の中古レコ屋は数店舗あったが一番ハマったのがアディロンダックであろう。
つづく…。






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マサヤス 龍之介 投稿者
トニイレコードは現在では更に移転してて、文中のマツキヨの裏、やはりトニイレコード出身の高野さんが出店しておられるゼロシーシーのちさすさ@@@そ