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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

サザンオールスターズとその時代  ♯ 65

#サザンの星

『KAMAKURA』2️⃣
 side.B-3.♫メロディ 前年に発表したシングル♫ミスブランニューデイ そして♫メロディ   
更にこのアルバムからシングルカットされたもう一つのシングル♫Bye Bye My Love と桑田の繰り出す楽曲は恐ろしいくらいの傑作が続いた。
 この時、桑田は丁度三十歳。孔子の言葉を待つまでもなく、シンガー、クリエイター、アレンジャーとして桑田は人生の充実期を迎えた。ミュージシャンとして比較するならば、大滝詠一も1978年に自己の事務所ナイアガラエンタープライズを立ち上げたのが、丁度三十歳だった。が、大滝の場合、事務所を立ち上げた翌年に自己のスタジオを閉じるに止むなきを得ず、不遇の時代が暫く続いた。
 この♫メロディ は誰もが認める極上のバラードだが、極私的な恋人との別れのうたである。究極の小ぢんまりとした壮大な飛翔を表現することに成功している。詞と曲の一体感も他の追随を許さないほどだ。発売前から話題となったのは当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった芸人 明石家さんまをPVに起用したのも、功を奏した。さんまと桑田は同い年だった。翌年とそのまた次の年のクリスマス時期に日テレ系で生放映されたメリークリスマスショウ でもこの二人でMCを務め好評を博した。side.B-4♫吉田拓郎の唄 桑田のリスペクトソングである。詞の内容はフォークの貴公子への飽くなきリスペクトの余り、逆説的にダークな表現を用いて拓郎ファンからは抗議が殺到したと云う因縁付きの内容だった。…唄えぬお前に誰が酔う だとか…フォークソングのカス とまで言い放った桑田は陽水よりも、或いはフォークソングの神様とまで言われて当時の若者からカリスマ的に支持された岡林信康なんかよりも、拓郎を深く理解していた。それゆえに、ちょっと勢いのなくなってきた拓郎をただただ、励ましたかったのだろう。この楽曲から12年後に拓郎は表舞台に立つ。そして往時にはゼッタイにTVでは歌わないと言っていた拓郎が、帯番組を持ちアイドルデュオにギターの指南をしたりテーマ曲を歌ったりしていた。隔世の感も極まれりだったが、その後病臥に伏して持ち直したが、二度と歌わないと宣言して以降は隠居する。サウンドはブラスロック=70年代回帰のテイストが拓郎の時代を風刺した。
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