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スノーフレーク
思い出した子供の頃の思考遊び。
子供の頃
「自分と言う認識は
どう行われているのか。
自分を意識している自分とは
本当に自分なのか。
自分である、
と言うこの認識は本物か。
自分である認識をしている
この自分は本当にいるのか」
なんて言う思考遊びをしていた。
(↑この思考遊び、オススメはしない)
これをやると
どこかの時点で自我が薄れて
自分は本当に存在しているのか?
と、有るのに無い感覚が生まれてきて
気が付けば30分以上時間が経ったりしていた。
その後に「自分」
と言う意識を取り戻すのに
少し時間が掛かるんだけど
あの感覚が不思議でたまらなかった。
高校生ぐらいの頃
何だかこの思考遊びを続けていたら
「自分」が本当に
消えてしまいそうな気がして
急に怖くなってやらなくなった。
「名は周囲からそのモノを切り離す境界線。
名は区別するためのモノ。
名がなければ境界線が薄れる」
みたいな事をタオに関して
調べていたら出てきて
あの感覚が「薄れた境界線」
だったのかな…とか少し思った。
有るのに無い
居るのに居ない
それともあれが「無」だったのかな…
コメント
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一旦GRASS0-9で働くから来て!!久々のオーナーと夜だよ!!!こりゃ愉快になりそうだ!!

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めい♂アラフォ福岡
分子レベルで考えると、すべてのものはあるとも言えるし、無いとも言える。 あるとか無いとかは、実は非常に曖昧な境界線なんだよね。
月
なんだかすごい領域に、足を踏み入れていたのでは!?[びっくり]
ちい
自分の境界を越えてあらゆるものが出入りする感覚にも近いのかな
ツッコ
おはようございます! 自分の存在を問う様な心理的境界線の世界ですね( ゚·゚) でも自分なりの課題創出、分析、考察、結論。大学卒業生並みの思考じゃないですか😊 老子の話しは私も共感する部分あります。