投稿

マサヤス 龍之介
二人の馴れ初め(4)
桑田はギターを弾きながら初めてのオリヂナル曲を歌い始めた。
「娘心にブルースを」と言う曲だった。
胸にグッときた。
何よりそのタイトルが、原には嬉しかった。
べつに原のことを歌っているわけではなかったと思う…と原はこの曲名のタイトルを冠した自叙伝に書いているが、このシチュエーションである。
桑田は原に最初に聞かせたかったのであろう。
明らかに遠回しな告白で有ろう。
それが、男心と言うものである。
青山学院大学の軽音部ベターデイズ内のロックサークル青学ドミノスは目まぐるしいメンバーチェンジとバンド名を変えながら活動の主体は桑田の作曲活動が旺盛になっていった。
原の回想では"脳卒中"と名乗ったこともあったようだった。
桑田佳祐の友人で後にレコード会社に就職する事になる宮治クンがある日、「あいつらサザンロックが好きだから、サザンオールスターズにでもしとくか」
意外にも桑田や原はこの名前を気に入り殆どそれ以降は名前を変えることは無くなっていったが、ビクターからのデビュー前に会社側から長くて覚え辛いから変えるようアドバイスされたと言う。
そこで、ヤマハ渋谷店の店頭ライブでは"パロディーハウス"と名乗ってみたが、可笑しすぎてメンバーらは笑いが止まらず🤣、元に戻したという。
1977年2月、臨時で時々顔を出してはギターを弾いていた宮崎出身の大森隆志がクラプトン好きから原や桑田と話があったので正式メンバーとなる。
同じ宮崎出身で口数が少ないヤンキー崩れみたいなリーゼントスタイルのドラマーの松田弘が正式メンバーになったのもこの頃でありベースは先輩格に当たるA と言う人で大体メンバーが固定化されつつあった。
特に松田と大森は元々ミュージシャン志向が高くプロになりたいと常々思っていたが原や桑田はバンドは学生時代の思い出づくりと、方向性も正反対だったと言う。
それだけ自分達のバンドが成功するとは思ってもみなかったと言うことであろう。
そんな1977年の4月になり大森がよく出入りしていた渋谷のヤマハスタジオでコンテストの話をつかんできた。
つづく…。

コメント
話題の投稿をみつける

なの

なたま

あお/睦

たろす

しろも

兎さん

かな
ミーアキャットはペットに向いているの?
ミーアキャットをペットとして飼うことは、いくつかの点で考慮が必要です。
特徴
社会性: ミーアキャットは非常に社会的な動物で、群れで生活することが自然です。単独で飼うとストレスを感じる可能性があります。
活動的: 彼らは非常に活発で、広いスペースが必要です。狭い環境では健康を損なうことがあります。
飼育の難しさ
特別な飼育環境: ミーアキャットは特定の温度や湿度が必要で、適切な飼育環境を整えるのが難しいです。
食事: 自然では昆虫や小動物を食べるため、栄養バランスの取れた食事を提供する必要があります。
法律と規制
飼育許可: 国や地域によっては、ミーアキャットをペットとして飼うことが法律で禁止されている場合があります。事前に確認が必要です。
結論
ミーアキャットは魅力的な動物ですが、ペットとして飼うには多くの準備と理解が必要です。特に社会的な動物であるため、他のミーアキャットと一緒に飼うことが理想的です。もし本気で考えているなら、専門家に相談することをおすすめします。

とせこ

シシト

さばち
もっとみる 
関連検索ワード

ぅさぴぃ🐇☘️
早く続きが読みたい[大笑い]♪*゚
⸜🌷︎⸝MAO♬*゚🐾︎💕︎
脳卒中バンド!なんでやねん!🤣🤣🤣