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めいみぃ

めいみぃ

戦争終わっての、戦後数日の日本はどーだったのだろうか?

私のじーちゃん、父方も母方もそれぞれ戦地に行きまして、お母さんのじーちゃんは将校?とか階級が結構高い方だったのですが、傷からの感染症と、移動中の落馬で終戦前に外地から日本に帰国、実家に帰るとすぐ終戦。
お父さんのほーのじーちゃんは歩兵みたいに連れて行かれて、シベリア経由(辛かったらしい)で帰国。抑留されてたらしい。

じーちゃんは95歳で亡くなるまで私と同居してましたが、戦争の話はしたくないと、一切語らなかった。
中国行ったとかシベリアの話は全然しなかったです。

じーちゃん、
やっとのことシベリアから帰ってこれて、
戦争に出向いた時にはお腹にいた息子に、

お父さんですよ、帰ってきましたよ、よく頑張りましたね。これからはお父さんがずっと一緒にいます。安心して過ごしてください。

と、初めて会う3歳の息子に、言ったら、

おじさん、、、豆焼いて。

と、言われたそう。
当時ちっこい乾燥させた豆を炒って食べるのがおやつだったそうで、
実の息子に、

あのおじさんは、だれなのか?
兵隊さんか?
泊まっていくのか?

と、疑問におもわれ、

あなたのお父様です。と、いっても、

しばらくは、おじさん。と、よばれ、


じーちゃんは、
お父さんなのに、行きたくもない外国にきったない船に乗せられて連れてかれて、挙句に人殺しさせられて、鉄砲なんて持ちたくもないのにもたされて、子どもが生まれる楽しみさえ奪われて、寒いどころじゃない場所でお友達はばだばだ死んでいくのを毎日のように耐えて、やっと帰ってこれたら、息子に


おじさん、豆焼いて

と、他人扱いされて、

戦争など、やりたいと思った役人が積極的に行けば良いだろう。平民を巻き込むな、
と、怒っていたそうで、親戚の同世代に一度だけ言ってだそうです。
晩年、じーちゃんに、
じーちゃんの幸せってなぁに?と聞いたら、
ニコニコしながら、
一つの小さい饅頭を、家族で等分したときにね、
私の分はお母さんにあげますよとか、おばあちゃんが食べなさいよと、分け合って、笑顔で美味しい美味しいと言って食べれる事ですよ。
たとえ砂糖のかけらでも、みんなで分け合って美味しいねぇ😆😆😆あまいねぇ!と、そーゆーことが、幸せです。と言ってました。
じーちゃんに会いたい。
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コメント

64blue

64blue

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大切なお話を聞かせてくれてありがとうございます。

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めいみぃ
めいみぃ
そんなじーちゃんも平成10年に95歳で亡くなりました。懐かしいです。
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まっつぁん🔆‬🌙

まっつぁん🔆‬🌙

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確かに戦争の話はあまりしてくれなかったなー。

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めいみぃ
めいみぃ
戦争行った皆さんの思い出会にも絶対に行かないし、クラス会でも戦争の話になるから行かないって言ってました。
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ロタモナ

ロタモナ

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素敵なおじいさんですね。😊

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めいみぃ
めいみぃ
ありがとうございます。素敵なじーちゃんでした、じーちゃんに買ってもらったランクルは今も宝物です。
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