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yoshiiiiii
もともと「欠如している」(privative)という観念を含む「私的」(private)という用語が、意味をもつのは、公的領域のこの複数性にかんしてである。完全に私的な生活を送るということは、なによりもまず、真に人間的な生活に不可欠な物が「奪われている」(deprived)ということを意味する。すなわち、他人によって見られ聞かれることが生じるリアリティを奪われていること、物の共通世界の介在によって他人と結びつき分離されていることから生じる他人との「客観的」関係を奪われること、さらに生命そのものよりも永続的なものを達成する可能性を奪われていること、などを意味する。私生活にかけているのは他人である。逆に他人の眼から見る限り、私生活は目に見えずしたがって存在しないかのようである。私生活がなすことことはすべて、他人にとっては、意味も重要性もない。そして私生活者に重要なことも、他人には関心がない。
ちくま学芸文庫「人間の条件」第二章 公的領域と私的領域 87頁
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yoshiiiiii 投稿者
私的な空間へ逃避したことが全体主義という運動を産出した。これが前提としてあるから彼女は私的領域、労働というものに対して結構ネガティブ。 全体主義という運動は私的領域を破壊というよりは公/私の隔たりを奪っちゃう。
yoshiiiiii 投稿者
アーレント「"全体主義なんてやーやーなの!"とかほざいて私的領域に逃げる行為こそが全体主義を育てるんだぞ」