投稿

おおくに
結末を定めずに書き進める作家さんもいますが、ラストを決めてそこに到達していく方が破綻はないです。
どうしても自分が描きたいあるシーンを探す。
発見できたら、そのシーンのワンシーン前へ遡る、そしてさらにワンシーン前へ…と、紙芝居や絵本を逆さにめくっていくイメージで。
途中で複数のキャラが独自に動き始めたりしてストーリーが分岐し始めたら、
無理に一本化せずにそれぞれを遡り続ける(どの枝を太くするかは書いていくうちに見えてくるはず)。
これ以上遡ったら最初に想定した結末と乖離してしまいそうと感じたら、
そこがあなたのストーリーの発端です。
今まで遡ったシーンを逆にたどってください。
ラストの、一番書きたいシーンまで。
功罪はさておき、映像作品の原作需要が非常に高い昨今です。
新しい書き手は常に求められています。
どうぞ挑戦してください。
一文芸編集者より。
〈備考〉
ネットで拾いました。物語のハウツー本で紹介されている方法だと思いますが、自分は初めて聞きました。シンプルで実践的な素晴らしい方法だと思います。
その理由は、
自分を含む初心者にとって、一番の関門はラストシーンまで書き終えることだからです。
上記の説明では破綻の少なさに着目していますが、ラストシーンから書き始める最大の効果は、明確なゴール設定で執筆を持続しやすいことだと思います。
断片的に書きたいシーンを閃くこと自体は、さほど難しくないと思います。映像作品の原作需要の話をしているので、視覚的に印象深いシーンでしょうか。目に焼き付く光景を信じましょう。
そのラストシーンから遡ってストーリーを作ると、因果関係に基づいた展開を思いつきやすいです。これの優れた点は、時間の経過に沿って原因から結果を導くより、結果から原因を考えるほうが、数は少ないが破綻のない候補を上げやすいことかもしれません。(創造性や優れた読書体験とトレードオフに、執筆しやすさや物語の易しさを取る)
この方法単体で用いなくても、物語を練る際に引き出しにあれば役立つと思い、共有させてもらいました。
コメント
話題の投稿をみつける

黒猫@d
河野裕 彗星を追うヴァンパイア
難解なようでシンプルだ
小難しい枝葉で覆われているが根幹は真っ直ぐだ
革命の犠牲に身を捧げさせられながらも己の信念を貫いている
ーこの世界は複雑だ…だが美しく、思わず涙が溢れそうになったー

就活猫

♡ひお
今日もまた君と同じ時間を一緒に過ごせる事が堪らなく嬉しいよ。未来へ向けた沢山の準備を進めてくださる中でいつだって会える時間を同じ想いで大切にしていてくれて本当にありがとう。待っているね!会いに行くよ

まりこ
映画の時のほうが、めめらしいハルがちらほら見えて(いたずらっこのような)、それがまた自然な感じで、良いなぁなどなど、
#トリリオンゲーム

ゆた
GTコンビは虹5で回避ないけど全ガ+50%軽減
さすがにGTの方がそれ以前に詰んでる分加味したら強い
あとはベジットサンドだと赤髪コンビはリンクスキル2つ潰れるの痛い
GTコンビも編成によってはリンクスキル2個潰れるけど確率要素ある回避よりかは安定がいい

RUN (走
けど、耳貸してと言われた件で「今度VRで会ったらやるね?」というやつは、気になるんだけどV感大丈夫だったってことから既にすげぇ受け入れちゃってるが故に正直堕とされないかだけ心配。

ジスち
アクスタ入るスマホケース買ったから帰ったらサク山チョコ次郎のアクスタ入れる!☺️

倣䢟

木材@TRP
・木材の子にお手軽に重めに愛される
・木材から不定期で供給がある
・もしあなたがスケブとかをやっていたら卓後に依頼が入る可能性が高い
・グッズが出るかもしれない
木材とのタイマン、2PLのここがダメ
・数年単位で木材にこじらせられる

博多一
餌づくりのため西安に材料を持ち込んでからキャラバンのおっさんに話しかけて「トルコ北岸」を選んだら本当にトルコ北岸に移動した、海岸に出たらレイリッタとの会話イベントがあってから別れたこの後どうなるのかなぁ
もっとみる 
関連検索ワード


楓花(ふうか)
この方法って確かに確実なやり方ではあるんですが、逆に「このシーン必要だったか?」という「風呂敷畳めなくなった状態」を生み出しやすい原因にもなります。 あと、ラストを本人が考えていたとしても、例えばそれが売れて、続編が求められた場合、あるいは更なる長編化を求められた時に、凄まじく難しい綿密な打ち合わせが必要になってきます。 ここで優秀な担当がついていなければ、「そういうの求めてなかったのに」とファンがガッカリして、人気が下がり、最悪打ち切りになったりします。 この編集者はただ書き手を求めてることが最後に書かれている通り、「数が欲しい」だけなのだと思います。
楓花(ふうか)
これは実は作家個人の人生を考えた発言ではなかったりもします。 だって、結局は使い捨てになる事が圧倒的に多いのがこういう業界です。 確かにこの方法は書きやすくはなります。しかし陳腐にもなりやすい。 でもそんな事は上の人間は気にしない。 大衆も陳腐なもので満足すると分かっているからです。 本の発行数も、宣伝方法も、映像化も、全てはその内容の素晴らしさからではなく、「マーケティング部」が決めるものですから。 私はそれに惑わされる事なく、自分の書き方を追求していってほしいと、小説家にも、漫画家にも願っています。