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ねこやま
私としては十二国記を噛み締めて、なんなら配信も見たい気持ちだったのだけど…
柚香さんのヨウコ、かっこよかった…楽俊の家で蒼猿をあしらい眠りにつくあたりからバチクソにかっこいいオーラが出てきたと思う
容姿はもとからかっこいいんだけども!
虚海を渡って蓬莱の姿が剥がれ落ち、裏切りと痛みで心の外側の部分も容赦なく削り落とされ、魂の芯の部分が暴かれて。
それ以上傷付けられたら心も身体もお仕舞いというギリギリの部分までいって、そこを堪えるというのも王たる資質なのかなと思う
天帝は麒麟を介して王を選んでいると言うけれど、本当は王の資質があっても王になれなかった人もいるんじゃなかろうか
供王が27年も決まらなかったのは、麒麟が見つける前に死んでしまった可能性があるんじゃないかとか
もちろん単に王が現れなかったとも考えられるけど、苦難を乗り越えられてこそ王であるとも言える試練的な意味合いがあったのかとか
尚隆の死に戦のあたりとか、珠晶と頑丘の危機のあたりとか、ある意味では驍宗も泰麒の折伏の時がそうなのかもしれない
とにかく王として在る為に痛みを伴う程に磨かれていく様が、原作でも舞台でも存分に見れたのかなぁと思う
そして荒削りに削り出した陽子を最後に輝かんばかりに磨き上げたのが楽俊(の毛皮)なのかな、などと笑
天命はあった。王に導いたのは景麒だ。
だけど、天の采配があったにせよ、確かに王に成ったのはヨウコ自身なんだよなぁと思わせる説得力があった
ヨウコの中の陽子の葛藤が目に見えたことによってとても分かりやすくなったように思う
それにしても蒼猿と景麒は憎たらしかった〜!笑
蒼猿はその為のキャラクターなので、マジでグッジョブなんだけど、景麒は無自覚だからなぁ
「もう宜しいか」って宜しいわけないじゃん!
「お待ち申し上げた」って全然待ってくれんやん!て
でもね、我々読者は景麒が冷徹野郎ではないと知っているので、最後の「随分お変わりになられた」というのが心底感心しての言葉だと分かるのです
というか、あくまで淡々と話すばっち景麒の台詞回しからそれが滲み出てたのが凄かった
あと転変後の麒麟、マジ麒麟じゃなかったですか?私、2階席からだったのでぼんやりシルエットだったんだけど、麒麟のシルエットじゃなかった!?人間なのに?
まぁ、その後立つんかーい!とはなったけど、最後の誓約も麒麟だった…役者及び演出凄い
配信チケ買おうか観る時間あるかな…Blu-ray待つか…
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🍵ぐりんてぃ
ここでの不安ありますかー?て言われたから全部吐き出しても受け止めてくれるし、さすが福祉関連の方だなぁ〜ってホェエ〜て感心
頼れるもんは頼るのが一番ですな🥺

うめぼし
人が抱えきれなくなった感情が、葛藤とともに魂を歪ませていく過程を、
容赦なく描いている映画だと感じた。
悲しみ、怒り、恐怖、絶望――
ドス黒い感情に飲み込まれていく魂の変化は、とても生々しい。
一方で、すべてを見通しているかのような、
静かで美しい魂が寄り添う姿も描かれている。
そのまっすぐな瞳は、
人間の愚かさも弱さも、裁かずに受け止めているようだった。
獣か、怪物か。
堕ちてしまった存在が、
最後にほんの一瞬でも「人」に戻る。
その描写に、この映画の救いがあると感じた。
それは赦しでも、希望でもない。
それでも、人は最後まで人でいられる可能性がある――
そう静かに示された気がした。
重く、苦しい物語だったが、
人間を見捨てきらない視線が、確かに残る映画だった。

deux

関西だし

ててて
でも実は、通話をしないことで救われていたのは、僕のほうだったのかもしれません。
本はそれなりに読んでいるので、
ことわざや言い回しだけは妙に出てくるのですが、読み方はよく間違えます。
地名の熱海(あたみ)を、つい「ねっかい」と読んでしまう程度には、ポンコツです。
おまけに、クリスマスの日付を一日勘違いしていて、ケーキを焼き忘れる始末でした(あぁぁあ……)。
それでも、文字なら一度立ち止まって考えられる。
噛まずに、取り違えずに、
ちゃんと気持ちを置いていける。

ルーク♂

吉田賢太郎
「あいつ、マジ神」
「あの子は、私の仏様」
君たちが何気なく口にするその言葉は、
実は、この世界のいちばん深い「正体」を突いている。
1. 「人外(じんがい)」に触れるとき
阿呆(あほう)は神。神は、同時に鬼。
理屈が通じない、損得を考えない。
そんな「突き抜けた阿呆」は、もはや人間じゃない。
それは、圧倒的なカリスマという名の**「人外」**だ。
神様は、君を救うけれど、
鬼でもあるから、君の常識を平気でぶち壊す。
「人外」を推すということは、
その美しくも恐ろしい「嵐」に、魂を放り込むということだ。
2. 「超人(ちょうじん)」に焦がれるとき
馬鹿(ばか)は仏。仏は、同時に天魔(てんま)。
愛されるために自分を捨て、笑顔を絶やさない。
そんな「愛すべき馬鹿」は、人間をやりきった**「超人」**だ。
みんなを癒やすアイドルは、尊い仏様。
けれど、人の欲望をすべて飲み込み、
狂わせるほどの光を放つとき、それは恐ろしい天魔になる。
「超人」を推すということは、
その極限まで磨かれた「業(ごう)」と、心中するということだ。
3. だから、マウンティングは「ダサい」
いいかい、よく聞いて。
世の中には、自分を賢く見せたい「賢者」や、
可哀想に見せて気を引く「弱者」が溢れている。
でも、彼らはみんな「ただの人間」だ。
人間のモノサシで、誰が上か下かなんて競い合っている。
そんなの、
神(人外)の前では、意味がない。
仏(超人)の前では、滑稽なだけ。
君へのメッセージ
誰かを「推す」ということは、
自分の中にある「人間」の枠を、ちょっとだけはみ出すこと。
賢くならなくていい。
弱さを武器にしなくていい。
君も、誰かにとっての「神」や「仏」になれる。
それは、君が「阿呆」や「馬鹿」になれるほど、
何かに純粋になれたときだ。
マウンティングという小さな檻(おり)を出て、
人外の輝き、超人の熱狂。
その本物のスリルを、楽しんでいこう。
はむ \(:3」∠)_
きゅうりをつけている人は
心になにか闇を抱えている
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夏河(な

りゅま

華愛莉

ゆき☺
スッカラカンカンスッカスカはどんなもの?
スッカラカンカンスッカスカは、主に日本の若者の間で使われる言葉で、特に何かが空っぽであることや、無駄に過ごしている様子を表現する際に使われます。この言葉は、軽い冗談やユーモアを交えた会話でよく見られます。
意味:
「スッカラカン」は、何もない状態や空っぽのことを指します。
「スッカスカ」は、隙間が多くて軽い様子を表現しています。
使い方:
友達との会話で、「今日は何もすることがなくてスッカラカンカンスッカスカだね」と言ったり、何かが空っぽであることを強調する時に使われます。
この言葉は、特にカジュアルな場面で使われるので、友達との軽い会話にぴったりです。

満月み

斉藤思

はまち

あや

てじ

今日何
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