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サタケ

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僕らは、生きる上で意味を投射せずには行動できない。

人間を含め生物(特に動物)とは「意思を持つ主体」だと思う。しかし同時に、遺伝情報を次代に繋げるための容器にすぎないとも思う。

食べること、休むこと、危険を避けること、死を恐れること。
これらの欲求や衝動は、遺伝情報を次の世代に残す上で有効だった振る舞いが、結果的に残されてきたものだ。
生物は「生きよう」としているのではない。
生き延びる方向へと調整された挙動を繰り返しているにすぎない。

老いと死もまた、繁殖と適応を優先する過程において強く排除される理由がなかった。
重要だったのは個体が不老不死として永続的に生き続けることではなく、変化可能な情報が更新され続けることだ。

こう考えると、生命の多くは意味や目的を持たずとも成立している。
ただし、人間はそこに留まらない。

人は特定の他者や対象に価値を見出し、それを失うことを恐れ、守ろうとする。
親が子を特別な存在として扱い、恋人同士が互いを唯一無二だと感じるとき、その価値は対象の側にあるのではなく、関係の中で生じている。

人間は世界に意味を投射(プロジェクション)している。
このプロジェクションによって、世界は単なる環境から、「自分が愛した事物を守るべきもの」へと変わる。
愛とは、世界の一部を特別なものとして位置づける認知の形式だ。

僕は、この意味づけが主観的(思い込み)であったとしても、空虚ではないと信じている。
意味は身体的反応や社会的関係と結びつき、行動を現実に変える。
人は、例え自分が信じた愛が虚構であることを理解したとしても、それでもなお、意味を必要とし続ける。
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