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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

小谷城

というわけで、浅井氏三代の居城小谷城。
京極氏の家臣浅井亮政が、家中の混乱に乗じて権勢を増し、やがて独立性を持ち始めて大嶽城を築城したのがはじまり。
やがて代を重ねるごとに城域が大きくなっていき、主家の京極氏までも城に招き入れて北近江の実質的な支配者になっていった。
清水谷という谷に居館を構え、その谷を抱きかかえるように両側に伸びる尾根上に城が築かれ、背後の一際高い山に大嶽城があったそうだ。
向かって右側が本丸を含む主要な城郭として発展し、左側は織田軍の小谷城攻めに際して、浅井側で来援した朝倉軍が整備した砦がいくつかあったとされてきたが、浅井氏滅亡後に領主になった秀吉によって築かれたという説も最近は出てきているらしい。

麓から登城していくと、先日雪が降った割に意外と登城路は雪に覆われておらず登りやすかったものの、標高が上がるにつれて積雪が増え、本丸まで行ったあたりで撤退することにした。
そこまででも石垣造りの馬洗い池、大広間への門跡や本丸下の石垣、本丸裏の大堀切、朝倉軍が築いたとされる出丸など見応えのある遺構がたくさんあり、また織田信長が小谷城攻めの付城を築いた虎御前山などが眼前によく見えた。
ところどころにARつきの解説板もありなかなかに楽しめたが、城郭全体の三分の一程度、浅井氏が築いた部分の遺構だけでも半分程しか回れなかったのは残念。

#一日一城
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