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ayk
仕方ないなんてことはわかってんだよ。
それだけで済まさず寄り添ってほしいんだよ。
わからないかなあ…。
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🐻❄️
やってんなまじ。
所詮その程度って感じ。
まじ萎える。

暗黒微笑あゆみ

なお
SNSで話題のあの衝突を見るたび、胸が苦しくなります。
同じ創造主を信じる者同士なのに、なぜこれほどまでに傷つけ合うのだろう。
「隣人を愛しなさい」という教えは、どこへ行ってしまったのだろう。
そんな問いを抱えながら、僕は最近『申命記』のある一節と深く向き合っています。
申命記10章19節ー「寄留者を愛せ」という命令
「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であったからである」
(申命記10:19)
ここで言う「寄留者」とは、ヘブライ語で「ゲール」גֵּר といいます。
土地にも血筋にも属さない、文字通り「よそ者」のこと。
この命令が語られた背景を、僕はマンガを描きながら考えました。
イスラエルの人々は、エジプトで長く「寄留者」として、つらく苦しい経験をしました。
自分たちが味わったその孤独と痛みを忘れないために、
神は「寄留者を愛せ」と命じたのです。
ここで使われる「愛する」という言葉は「アハヴ」אָהַב。
単なる感情ではなく、具体的な行動をもって示す愛。
保護し、正義をもって扱い、共に生きることを選ぶ意志的な愛です。
戒律の中にある、深い「記憶」の力
僕がこの節から学んだことは、神の戒律の根底には「記憶」がある、ということです。
「あなたたちも……であったからである」
この言葉がすべてを物語っています。
自分が苦しんだ者だからこそ、他の苦しむ者に手を差し伸べられる。
自分がよそ者であったからこそ、今のよそ者を心から受け入れられる。
では、なぜこの「記憶」が失われ、隣人への愛が戦いに変わってしまうのでしょう。
僕の気づきは、こうです。
私たちは、自分が「寄留者」であったことを忘れ、いつの間にか「土地の主」になってしまうのではないか。
かつての自分に必要なものを与えてくれた「神の愛」を、
今度は自分が与える側として実践するのではなく、
自分の立場や教えを守る「権利」にすり替えてしまっているのではないか。
同じ創造主を信じる者同士で、殺し合いが正当化される時
モーセ五書を読むと、神は確かに戦いを命じる場面もあります。
しかし、それは決して「信仰の異なる者を抹殺せよ」という無差別な命令ではありません。
むしろ、神の正義と契約に基づく、限定的なものでした。
そして、そのような文脈でさえ、神は繰り返しこう言われます。
「寄留者を虐げてはならない。あなたたちもエジプトの国で寄留者であったのだから」
この根源的な記憶と共感が抜け落ちた時、
「神の名」が、自分たちの憎しみや恐怖を正当化する道具にされてしまう。
僕はそう考えずにはいられません。
問いを抱え、共に五書を学ぶことから
僕にすべての答えがあるわけではありません。
今、世界で起きている複雑な対立を、単純に解決できるほど聖書は浅くない。
だからこそ、僕は学び続けています。
モーセ五書は、神と共に生きるとはどういうことか、
隣人とは誰か、を問い続ける書物です。
その問いを、僕はマンガという形で共有したい。
読みやすく、でも核心からは逃げずに。
同じ創造主を信じながら、なぜ私たちは傷つけ合ってしまうのか。
その答えは、もしかしたら「あなたも寄留者であった」という
シンプルすぎるほどの記憶の中にあるのかもしれません。
気になった方は、ぜひAmazonで『モーセ五書 マンガ 石川尚寛』と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
僕自身、読者の方々と共に、この難しい問いを五書から学び続けたいと思います。
#モーセ五書マンガ
#隣人愛
#聖書の問いかけ


素数
現場からは以上です。

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