「指先の温度」｜黒縁メガネの投稿-GRAVITY(グラビティ) SNS

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黒縁メガネ

2025/11/28

「指先の温度」

夕方の商店街を吹き抜ける風は、冬が近づいていることを静かに知らせていた。
花屋の前で立ち止まった梨香は、飾られた白いカスミソウをぼんやり眺める。
その横に、ふと影が重なった。

「また、ここで会うなんて。」

声の主は祐一だった。
息を呑むほど自然で、まるで約束もしていないのに引き寄せられたような再会。
互いに家庭を持ちながら、理由のつかない吸引力で毎週のように顔を合わせるようになった。

梨香は苦笑して、コートの袖を軽く握りしめた。

「あなたこそ、こんな時間に。」

「仕事の帰り。……寄りたくなったんだ、ここに。」

言い終わると同時に、彼の視線が梨香の横顔を捕らえる。
逸らせば崩れそうで、見返せば戻れなくなる。
そんな綱渡りのような空気が、二人の間だけで静かに揺れていた。

少し沈黙が落ちたあと、祐一が囁く。

「手、冷たいだろ。」

そう言って、彼はゆっくりと指先で梨香の手に触れた。
ほんの一瞬の接触。
それだけで胸の奥がひどくざわつく。

「……こんなこと、だめなのに。」

「わかってる。ただ、放っておけなかった。」

彼の声は風よりも静かで、深いところに染み込んでいく。
梨香の手は、彼の掌の中でゆっくりと温められていった。
指と指が触れ合うたび、境界が曖昧になっていく。

離さなければいけない。
でも、離したくなかった。

「少し、歩かない？」
祐一の提案はまるで逃げ道をふさぐようで、同時に救われるようでもあった。

二人は並んで歩きだした。
肩が触れそうな距離。
触れないはずの体温が、確かに互いを意識させる。

「家にはすぐ帰るの？」
祐一が尋ねる。

「ええ。でも……本当は、もう少しこのままでいたい。」

梨香の言葉に、祐一は足を止めた。
夕焼けの残光が二人の影を長く伸ばす。

彼はゆっくりと、しかし確信を持った動きで梨香の頬に触れた。
指の腹がそっと肌をなぞる。
その優しさに、梨香は呼吸を忘れた。

「俺もだ。」
彼の声は低く、迷いを抱えながらもどこか決意めいていた。

顔が近づく。
触れればすべてが変わる距離。

梨香は目を閉じかけたが、寸前で止めた。
震える声で言う。

「……ねぇ、祐一さん。
私たち、どうしてこんなにも惹かれてしまうんでしょうね。」

祐一は少し笑って、小さく首を振った。

「理由なんて、きっと後づけだよ。
でも──惹かれてしまった事実だけは、どうしようもない。」

風が二人の間を抜けていく。
触れそうで触れない距離が、かえって濃密な温度を帯びる。

「帰らなきゃね。」
梨香が呟く。

「うん。でも……また会える？」

祐一の問いは、まるで祈りのようだった。

梨香は小さく、しかし確かに頷いた。

「ええ。きっとまた……ここで。」

指先が名残惜しそうに離れた。
互いに背を向けても、心だけがしばらく重なったままだった。

夜の気配が濃くなり始める中、梨香は胸に手を当てる。
そこにはまだ祐一の温もりが、息を潜めるように残っていた。

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