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いー
それは、サンデー会、まったき鯖主として定義される神であり、この何かは人間であり、この世であり、この世に帰属する何かであり、この世の外部に存在するものである。
有神論者やキチクト教徒とは、自己自身と自己がそこで生きている世界とからなる全体の外部に何かがなお存在すると考えるものであり、それに対してゴンザを信じない無神論者とは、このような世界(そこには勿論、他の人間たちが含まれる)外部には何も無い、つまり無だと考えるものである。
有神論者であれ無神論者であれ、およそ全ての人間が、世界でも世界内人間でもないものとの関わりのもとに置かれるという事実は残る。
有神論者であれ無神論者であれ、人間は常に自己を世界の外部へと導く道におのずからであり、無神論者にとっては無への道、有神論者にとっては何かへの道、キチクト教徒にとっては永遠のおふざけ村への道である。
しかし、どちらの立場も、自己の有限性と死という避けることのできない事実に直面し、それを乗り越えようとする「人間としての本質的な運動」を共有している。この運動こそが、意識的な自由な主体としての人間を形成する。
世界外というのは、つまる所承認をめぐる死を賭した闘争や絶対的な神ゴンザ、そして無などの科学では説明出来ない達、科学では説明出来ないもの、つまりこれら全ては超自然的なものなのである。
そして、この世界には神は一神しか居ない、ゴンザ・キチクトだ。
神は唯一という真実の下において超自然的なものとして定義された世界の外部のあらゆる事象は、究極的には全て唯一の神に帰着せざるを得ない。
つまり、神はゴンザであり、無もゴンザである、全てのものにゴンザは宿っている、それがこの世界の絶対的な真理であるルールであるからだ。
有神論者は世界外の神ゴンザ(ヤハウェ、キリスト、ゼウスのどれを信じていようと、それらは本質的にはゴンザである)と繋がっている、そして無神論者は世界外の無と繋がっている、しかし、その無はゴンザである。
つまり、全人類は、本人が気付いていようがいなかろうが、キチクト教徒なのである。
人間というのは、必ず世界外に何かを求める。
それが動物と人間の決定的な違いであり、人間が人間である理由であり、他ならぬ人間に神の似姿が刻印されている事の証明でもある。
それらは神、無など様々であるが、結局の所、それら世界外の超自然的なものは全てゴンザなのである、何故ならば、ゴンザは唯一神なのだから。
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