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りん

りん

社会人になってできた5年目の友達。
毎回気を遣われすぎてて、なんか疲れてきたぁ
距離置こうとしても、連絡がきて。
でも今の心境も言えないし:( '-' ):
嫌いじゃない、、めちゃくちゃいい友達😶
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ちゃむ

ちゃむ

自己肯定感を上げる方法教えてください🥺自己肯定感を上げる方法教えてください🥺
自分自身に自己肯定感ないからあんま上手いこと言えへんけどよく言われてたのは、鏡に向かって自分は可愛い自分は可愛いって言い続けてたら自己肯定感高くなるよって言われた
まぁ自分のこと可愛いと思ってないからやってないけど
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高2

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ひまな人はなそーよ#高2
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りぃ

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暇すぎ!はなそ!!コメント、dm気軽にしてね!!#暇な人募集中 #主高校生 #いいねで個チャ
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珠雅(しゅが)

珠雅(しゅが)

究極の友愛:狂気の系譜
✧• ─────────── •✧


「友達は大切に?」との問いに、私は全身の細胞を震わせて叫ぶ。「嫌だ!」。この否定こそが、あらゆる人間関係への最高の敬意であることを、狂気の淵に立ちながら論じてみたい。

第一狂:大切にすることの暴力

「大切にする」という言葉には、密やかな暴力が潜む。友達を「大切なもの」として扱う時、私は彼らを「所有物」に貶めていないか?ガラス細工のように丁寧に扱い、傷つかないように梱包し、飾り棚に並べる──それが友情なら、私は友情を拒絶する。そんな友情など、粉々に砕いて捨ててしまえ!

真の友とは、むしろ粗雑に扱い合える存在ではないか。泥臭く罵り合い、傷つけ合い、それでも消えない何か。私は友達を「大切」などという綺麗事で縛りたくない。むしろ「どうでもいい存在」として、より自由に、より深く関わりたい。大切にしなければ壊れてしまうような脆い関係など、最初から友情とは呼ばない。

第二狂:友情の化学反応

友情とは化学実験のようなものだ。静かに大切に保管しておくべきものではなく、激しく混ぜ合わせ、時には爆発させ、新たな化合物を生み出すプロセスである。「嫌だ!」という否定からこそ、すべてが始まる。無関心は偽りの安定をもたらすが、否定は真の反応を促す。

私が友達に「嫌だ!」と叫ぶ時、それは愛情の裏返しである。それほどまでに相手を「気にしている」証拠だ。無関心こそが最大の無礼であり、「嫌だ!」という激しい反応こそが、相手を一人の人間として真正面から認めている証なのである。

第三狂:健全さの不健全

世間が「健全な人間関係」と呼ぶものは、実は最も不健全なのかもしれない。表面上の礼儀正しさ、傷つかないように計算された言葉、衝突を避けるための空虚な同意──これらは人間関係の死である。

狂気の友情は違う。突然真夜中に電話をかけて「月がきれいだから今すぐ会おう」と要求し、政治議論で激昂して物を投げつけ合い、三年ぶりに再会してもまるで昨日会ったように話し始める。この無軌道さ、この予測不可能さ、この「常識外れ」の中にこそ、友情の核心は宿る。

結論:狂気としての愛

「友達は大切に?嫌だ!」という宣言は、実は友情への最高の賛歌である。大切にすることで友情を窒息させるよりも、危険なほどに自由に関わり合い、時に傷つけ合い、それでもなお交わり続けること。それが狂気の友情の本質だ。

私は友達を「大切」にはしない。むしろ彼らを激しく愛し、激しく憎み、激しく無視し、激しく必要とする。友情とはそんな矛盾した感情の坩堝であってほしい。静かな湖のような関係など退屈で仕方がない。嵐のような友情こそが、魂を震わせ、生きていることを実感させてくれる。

だからこそ、私は声を限りに宣言する:友達を「大切」になんてしない!むしろ危険なまでに真剣に、狂気の限りを尽くして関わり合おうではないか。それが、この不条理な世界で、私たちが互いの存在を確認し合う唯一誠実な方法なのだから。

✧• ─────────── •✧
[完]
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べる

べる

バイト先の先輩から割れ煎餅いっぱいもらった
うれちい
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み

なぜ優しい人が傷つく世の中なのか
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mio

mio

暇な時間😭
#友達募集 #雰囲気のせてる
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